言志四録 / 言志耋録 第百六条 自ら欺かざるは天に事ふ
不自欺。謂之事天。
書き下し
自ら欺かざる、之を天に事ふと謂ふ。
現代語訳
自分で自分を欺かないこと、これを天に仕えるという。
解説
わずか七字の短い条ですが、一斎の考えの核心に触れています。「自ら欺く毋し」は『大学』が「誠意」を説明する言葉で、意を誠にするとは自分を欺かないことだとされます。「天に事ふ」は『孟子』尽心上篇の「其の心を存し、其の性を養ふは、天に事ふる所以なり」を踏まえた語です。一斎は、この二つを一つに結び、自分を欺かないことがそのまま天に仕えることだと言い切ります。天に仕えるとは、特別な祭祀や修行ではなく、自分の心に嘘をつかないという日々の営みだというのです。前条で夢は自分を欺けないと述べたのを受けた条でもあります。仕事の上で自分に言い訳をしていないかを、静かに問い直させる言葉です。
この章句が説くこと
誠自欺天誠意内省
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