言志四録 / 言志耋録 第百一条 精神を肚腔に鎮む
凡思惟道理。得其恰好者。往往在宵分。以神氣澄靜也。靜坐時最宜收斂精神。鎭在肚腔。即爲處事之本。勿認做參禪樣子。
新字:凡思惟道理。得其恰好者。往往在宵分。以神気澄静也。静坐時最宜収斂精神。鎮在肚腔。即為処事之本。勿認做参禅様子。
書き下し
凡そ道理を思惟して、其の恰好なる者を得るは、往往宵分に在り。神気澄静なるを以てなり。静坐の時は、最も宜しく精神を収斂して、肚腔に鎮在せしむべし。即ち事を処するの本と為す。認めて参禅の様子と做すこと勿れ。
現代語訳
およそ道理を考えていて、ぴたりと当てはまる答えを得るのは、しばしば夜半のことである。それは精神と気が澄みきって静かだからである。静坐するときは、何よりも精神を引き締めて収め、腹の底にどっしりと鎮めておくのがよい。それがそのまま物事を処理する根本となる。これを禅の坐禅の真似事だと思い違えてはならない。
解説
物事の道理を考えていて、ぴたりとした答えが得られるのは夜更けが多いと一斎は言います。夜は精神と気が澄んで静まるからです。そこから静坐の心得に進み、精神を散らさず収めて、腹の底に鎮めておくことを勧めます。これが事を処する本になるのだ、と。一方で、それを禅の坐禅と取り違えるなと釘を刺しています。坐禅が世事を離れた悟りを目指すのに対し、儒者の静坐はあくまで現実の事に当たるための備えだ、という区別でしょう。儒官として禅との混同を戒める立場も見えます。腹に心を落ち着けるという身体的な感覚は、判断を迫られる場面で自分をどう保つかを考える手がかりになります。
この章句が説くこと
静坐精神思索胆力処事
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