酔古堂剣掃 / 集醒・意は筆の先に在り
意在筆先,向庖羲細叅易畫,慧生牙後,恍顏氏冷坐書齋。
新字:意在筆先,向庖羲細参易画,慧生牙後,恍顔氏冷坐書斎。
書き下し
意は筆の先に在り、庖羲に向ひて細かに易畫を叅ず。慧は牙の後に生ず、恍として顏氏の冷やかに書齋に坐するがごとし。
現代語訳
心の思いは筆を下ろす前にあります。伏羲(易の八卦を画いたという古の聖王)に向き合って、易の卦の画を細かく参究するかのようです。知恵は言葉の後から生まれます。まるで顔氏がひっそりと書斎に座っているかのようです。
解説
書くことと考えることの心得を、古の人物に託して述べた対句です。意は筆の先に在りとは、書や文章では、筆を下ろす前に心の中に構想ができていなければならないという、書道の古くからの教えです。庖羲は伏羲のことで、易の八卦を初めて画いたとされます。わずかな線に天地の理を込めた八卦を細かに参究するように、一筆に先立つ思いを練れというのでしょう。牙の後の慧は、『世説新語』で殷浩が人の言葉の受け売りを牙後の慧と呼んだ話に由来し、言葉の後から湧く知恵を指すと読めます。顔氏が誰を指すかははっきりしませんが、静かに書斎で思索する学者の姿として描かれています。何かを書いたり話したりする前後に、静かに考える時間を持つことの大切さを思わせる句です。

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読書書道思索学問易
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