言志四録 / 言志耋録 第七十条 工夫と本体は一項に帰す
無時不本體。無處不工夫。工夫本體。歸於一項。
新字:無時不本体。無処不工夫。工夫本体。帰於一項。
書き下し
時として本体ならざるは無く、処として工夫ならざるは無し。工夫と本体とは、一項に帰す。
現代語訳
どんな時も心の本体でないときはなく、どんな場所も修養の工夫でないところはない。工夫と本体とは、結局一つのことに帰着する。
解説
少し前の「惟れ精惟れ一」の条と同じく、「本体」と「工夫」の一致を説いた条です。本体とは人が本来持っている心のあり方、工夫とはそれを発揮するための修養の努力です。一斎は、いつどんな時も心の本体は現れており、どこでも修養の場でないところはないと言います。修養は特別な時間や場所で行うものではなく、日常のあらゆる瞬間がその場になる。そして努力することと本来の姿であることは、最終的には一つに帰着するのです。仕事の場もまた修養の場だと考えれば、日々の業務の一つひとつが自分を磨く機会になります。特別な研修や休暇だけが成長の機会ではない、という見方を示す一条です。
この章句が説くこと
本体工夫修養日常一体
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