言志四録 / 言志晩録 第四条 自ら覔め自ら覬ふ
吾人工夫。在於自覔自覬。義理混混而生。似有物。不認源頭來處。似無物。
新字:吾人工夫。在於自覔自覬。義理混混而生。似有物。不認源頭来処。似無物。
書き下し
吾人の工夫は、自ら覔め自ら覬ふに在り。義理混混として生ず、物有るに似たり。源頭の来処を認めず、物無きに似たり。
現代語訳
われわれの修養の工夫は、自ら探し求め、自ら望み見ることにある。道理は泉のようにこんこんと湧き出てきて、何か物があるかのようである。しかし、その源がどこから来るのかは見定められず、何も物がないかのようである。
解説
修養の工夫は他人から与えられるものではなく、自ら探し求めるところにある、と説く短い条です。自分の内に探ると、義理(なすべき道理)は孟子のいう「源泉混混」のように尽きず湧いてくる。確かに何かがあるように感じられるが、その源を突き止めようとしても形として捉えられず、何もないようでもある。有るようで無く、無いようで有る心の本体のありさまを、一斎は泉の比喩で描いています。心を実体として掴もうとすると取り逃がし、放っておくと見失う。考えを深めるときも、答えを外に探し回るより、自分の内から湧いてくるものに耳を澄ます時間の大切さを思わせる一条です。
この章句が説くこと
工夫自得義理心の本体内省
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