言志四録 / 言志耋録 第五十四条 工夫上に本体を説く
惟精惟一。工夫上說本體。無聲無臭。本體上說工夫。
新字:惟精惟一。工夫上説本体。無声無臭。本体上説工夫。
書き下し
惟れ精惟れ一は、工夫上に本体を説く。声無く臭無しは、本体上に工夫を説く。
現代語訳
「惟れ精、惟れ一(心をよく見分け、ひたすら一つに守る)」(『書経』大禹謨)は、修養の工夫の面から心の本体を説いたものである。「声も無く臭も無し」(『詩経』大雅・『中庸』)は、本体の面から工夫を説いたものである。
解説
儒学で重んじられる二つの語を、「本体」と「工夫」という対概念で読み解いた条です。「惟れ精惟れ一」は『書経』大禹謨にある、舜が禹に伝えたとされる心法の言葉で、心を精しく見分けて一つに守るという修養の方法、すなわち工夫を述べています。一斎は、それが実は心の本体を語っていると見ます。反対に『中庸』の結びに引かれる「声無く臭無し」は、天の働きの形なき本体を述べた語ですが、そこに工夫が語られていると言うのです。本体と工夫は別物ではなく、互いの中に含まれている。何をめざすかと、どう取り組むかを切り離さないという考え方として受け取ることができます。
この章句が説くこと
本体工夫精一修養中庸
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