言志四録 / 言志耋録 第四十五条 理と気は二に非ず
自主宰謂之理。自流行謂之氣。無主宰不能流行。流行然後見其主宰。非二也。學者輙過分別。不免於支離之病。
新字:自主宰謂之理。自流行謂之気。無主宰不能流行。流行然後見其主宰。非二也。学者輙過分別。不免於支離之病。
書き下し
主宰よりして之を理と謂ひ、流行よりして之を気と謂ふ。主宰無ければ流行する能はず。流行して然る後に其の主宰を見る。二に非ざるなり。学者輙ち分別に過ぎ、支離の病を免れず。
現代語訳
万物を統べる働きの面から言えばそれを「理」といい、めぐり動く働きの面から言えばそれを「気」という。統べるものがなければ、めぐり動くことはできない。めぐり動いてはじめて、それを統べるものが見えてくる。理と気は二つのものではないのである。学ぶ者はとかく両者を分けすぎて、ばらばらに切り離してしまう弊害を免れない。
解説
朱子学の根本概念である「理」と「気」の関係を論じた条です。朱子学では、万物の法則である理と、物を形づくり動かす気とを区別して説きます。一斎は、統べる働きから見れば理、めぐり動く働きから見れば気と呼ぶだけで、両者は二つのものではないと言います。理がなければ気は動けず、気が動いてはじめて理が見える。この見方は、理を心の外に立てることを戒めた陽明学に近く、朱子学の儒官でありながら陽明学にも通じた一斎の立ち位置がよく表れています。原則と実践、方針と現場を切り離して論じすぎると、どちらも生きなくなります。両者を一つの働きの二面として見る視点を与えてくれる条です。
この章句が説くこと
理気主宰流行朱子学陽明学支離
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