言志四録 / 言志耋録 第三十五条 孔顔の楽処
吾輩以筆硯精良爲娛。以山水遊適爲娛。比之常人所樂。可謂高一著。然方之孔顏樂處。不翅下數等。吾人盍反省乎。
新字:吾輩以筆硯精良為娯。以山水遊適為娯。比之常人所楽。可謂高一著。然方之孔顔楽処。不翅下数等。吾人盍反省乎。
書き下し
吾輩は筆硯の精良なるを以て娯と為し、山水の遊適を以て娯と為す。之を常人の楽しむ所に比すれば、一著を高しと謂ふべし。然れども之を孔顔の楽処に方ぶれば、翅に数等を下るのみならず。吾人盍ぞ反省せざる。
現代語訳
われわれは、すぐれた筆や硯を楽しみとし、山水を訪ねて心をのびやかにすることを楽しみとしている。これを普通の人が楽しむことに比べれば、一段高いと言ってよい。しかし孔子や顔回(孔子の高弟)の楽しんだ境地と比べれば、数段劣るどころではない。われわれはどうして反省しないでよかろうか。
解説
筆や硯の良し悪しを楽しみ、山水を愛でることは、俗な快楽よりは一段上の、文人らしい趣味です。しかし一斎は、それを孔子と顔回の「楽しみ」と比べれば、数段どころでなく劣ると自らを省みます。孔子は粗末な食事でも「楽しみ亦其の中に在り」と言い、顔回は貧しい路地の暮らしでも「其の楽しみを改めず」と称えられました。宋学では、この「孔顔の楽処」を尋ねることが学問の大きな課題とされます。外の物や景色に頼らない、道そのものを楽しむ境地です。趣味や余暇の充実は大切ですが、仕事や生き方そのものに楽しみを見いだせているか。その問いを投げかける一条です。
この章句が説くこと
楽孔顔の楽処趣味反省安貧楽道
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