言志四録 / 言志耋録 第三十条 夫子の折中
曾晳之狂。不得夫子而折中之。則爲蒙莊。子路之勇。不得夫子而折中之。則爲賁育。子貢之辯。不得夫子而折中之。則爲蘇張。氣質變化。謂此之類。即學也。
新字:曽晳之狂。不得夫子而折中之。則為蒙荘。子路之勇。不得夫子而折中之。則為賁育。子貢之弁。不得夫子而折中之。則為蘇張。気質変化。謂此之類。即学也。
書き下し
曾晳の狂は、夫子を得て之を折中せずんば、則ち蒙荘と為らん。子路の勇は、夫子を得て之を折中せずんば、則ち賁育と為らん。子貢の弁は、夫子を得て之を折中せずんば、則ち蘇張と為らん。気質の変化とは、此の類を謂ふ。即ち学なり。
現代語訳
曾晳の狂(志が大きく型にはまらない気質)は、孔子に出会ってほどよく正されなかったなら、荘子(蒙の荘周)のようになっていただろう。子路の勇は、孔子に出会ってほどよく正されなかったなら、孟賁・夏育(古代の力士)のようになっていただろう。子貢の弁舌は、孔子に出会ってほどよく正されなかったなら、蘇秦・張儀(戦国の遊説家)のようになっていただろう。気質の変化とは、こうしたことをいう。それこそが学問である。
解説
孔子の三人の弟子を例に、気質の変化を説いた一条です。志が大きく型にはまらない曾晳は、そのままなら世俗を離れた荘子のようになり、勇ましい子路はただの力自慢の孟賁・夏育に、弁舌に優れた子貢は策を弄する遊説家の蘇秦・張儀になっていたかもしれない。孔子という師に出会い、その長所の偏りをほどよく正されたから、彼らは聖門の高弟になったのだと一斎は言います。気質の変化とは長所を消すことではなく、偏りを整えて生かすことだという見方です。部下の強みが行き過ぎて弱みになっていないか、どう整えれば生きるのかを考える手がかりになる一条です。
この章句が説くこと
気質変化師長所人材育成中庸
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