言志四録 / 言志耋録 第二十三条 恥無きを恥づ
立志工夫。須自羞惡念頭起跟脚。勿恥不可恥。勿不恥可恥。孟子謂。無恥之恥無恥矣。志於是乎立。
新字:立志工夫。須自羞悪念頭起跟脚。勿恥不可恥。勿不恥可恥。孟子謂。無恥之恥無恥矣。志於是乎立。
書き下し
立志の工夫は、須らく羞悪の念頭より跟脚を起こすべし。恥づべからざるを恥づること勿れ。恥づべきを恥ぢざること勿れ。孟子謂ふ、「恥無きを之れ恥づれば、恥無し」と。志是に於てか立つ。
現代語訳
志を立てる工夫は、恥を知り悪を憎む心から足場を起こさなければならない。恥じる必要のないことを恥じてはならない。恥じるべきことを恥じないでいてはならない。孟子は「恥を知らないことを恥じるならば、恥をかくことはない」と言った。志はここにおいて立つのである。
解説
志を立てる出発点を「羞悪」、つまり恥を知り不正を憎む心に置いた一条です。孟子は羞悪の心を「義の端」と呼びました。ただし一斎は、恥じる対象を取り違えるなと言います。貧しさや地位の低さのような恥じる必要のないことを恥じ、不誠実や怠慢のような恥じるべきことを恥じない。そうした倒錯があるかぎり志は立ちません。引かれた孟子の言葉は尽心上篇のもので、恥を知らないことを恥じる心があれば、恥ずべき行いから遠ざかることができるという意味です。自分が何を恥と感じているのかを見直すことが、志を立てる第一歩になるという示唆があります。
この章句が説くこと
立志恥羞悪義孟子
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