言志四録 / 言志耋録 第十六条 源有る活水
有源活水。浮萍自潔。無源濁沼。蓴菜亦汚。
書き下し
源有るの活水には、浮萍も自ら潔し。源無きの濁沼には、蓴菜も亦汚る。
現代語訳
水源のある流れる水では、浮き草さえもおのずと清らかである。水源のない濁った沼では、蓴菜(じゅんさい)のような清らかな草でさえも汚れてしまう。
解説
水源から絶えず新しい水が流れ込む川では、ありふれた浮き草も清らかに保たれる。流れのない濁った沼では、本来は清い水に育つ蓴菜さえ汚れてしまう。一斎は短い対句で、源を持つことの大切さを描いています。前の条で周子・程子という学問の源流を読めと説いた流れからすれば、学問にも源がなければ濁るという戒めと読めます。朱子の「半畝の方塘」の詩が、澄んだ池の理由を「源頭の活水の来たる有るが為なり」と詠んだことも思い起こされます。組織や個人も、学び続ける源、理念という源を失えば、優れた人材や力も濁っていく。自らの源は何かを問う一条です。
この章句が説くこと
源活水学問環境修養
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