弁道 / 第十五則
思孟以後之弊。在說之詳而欲使聽者易喩焉。是訟者之道也。欲速粥其說者也。權在彼者矣。敎人之道則不然。權在我者矣。何則。君師之道也。故善敎人者。必置諸吾術中。優游之久。易其耳目。換其心思。故不待吾言。而彼自然有以知之矣。猶或不喩也。一言以啓之。渙然氷釋。不待言之畢焉。故敎者不勞。而學者深喩焉。何則。吾不言之前。思既過半故也。
新字:思孟以後之弊。在説之詳而欲使聴者易喩焉。是訟者之道也。欲速粥其説者也。権在彼者矣。教人之道則不然。権在我者矣。何則。君師之道也。故善教人者。必置諸吾術中。優游之久。易其耳目。換其心思。故不待吾言。而彼自然有以知之矣。猶或不喩也。一言以啓之。渙然氷釈。不待言之畢焉。故教者不労。而学者深喩焉。何則。吾不言之前。思既過半故也。
書き下し
思孟以後の弊は、之を説くこと詳らかにして聴く者をして喩り易からしめんと欲するに在り。是れ訟ふる者の道なり。速やかに其の説を粥がんと欲する者なり。権彼に在る者なり。人を教ふるの道は則ち然らず、権我に在る者なり。何となれば、君師の道なればなり。故に善く人を教ふる者は、必ず諸を吾が術中に置き、優游すること之れ久しく、其の耳目を易へ、其の心思を換ふ。故に吾が言を待たずして、彼自然に以て之を知る有り。猶ほ或いは喩らざれば、一言以て之を啓けば、渙然として氷釈し、言の畢るを待たず。故に教ふる者労せずして、学ぶ者深く喩る。何となれば、吾未だ言はざるの前、思ひ既に半ばを過ぐるが故なり。
現代語訳
子思・孟子以後の弊害は、詳しく説明して聞き手に分かりやすくさせようとするところにある。これは訴訟する者のやり方であり、自分の説を早く売り込もうとする者である。主導権は相手の側にある。人を教える道はそうではない。主導権はこちらにある。なぜなら、それは君主や師の道だからである。だから人をよく教える者は、必ず相手を自分の術の中に置き、ゆったりと長く過ごさせて、その耳目を改め、その心の働きを入れ替える。だからこちらが言うのを待たずに、相手は自然に分かるようになる。それでもまだ分からなければ、一言で手がかりを与えれば、氷が解けるようにすっかり分かり、言い終わるのも待たない。だから教える者は苦労せず、学ぶ者は深く理解する。なぜなら、こちらが言う前に、相手の思いがすでに半ば以上進んでいるからである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
説苑・建本子思曰わく、学は才を益す所以なり、礪は刃を致す所以なり。吾嘗て幽処して深く思うも、学の速やかなるに若かず。吾嘗て跂ちて望むも、高きに登りて博く見るに若かず。故に風に順いて呼べば、声疾しきを加えざれども聞く者衆し。丘に登りて招けば、臂長きを加えざれども見る者遠し。故に魚は水に乗り、鳥は風に乗り、草木は時に乗る。
-
『酔古堂剣掃』集法・他山の石以て玉を攻むべし白沙泥に在れば、之と俱に黑し、漸染の習ひ久し。他山の石、以て玉を攻むべし、切磋の力大なり。
-
『文武訓』文訓下之末一日の本も、近き世まで、都に板行の書なく、ゐなかには、書ををしふる師なく、写本だになくて、もとめかねて、他国に遠く行きて師をたづね、書を借りもとめ、夜を日につぎて読みならひ、書を写して帰りぬ。其艱苦甚し。今も家貧しき人は、書をよむ事をこのめども、書なく師なく、筆硯紙墨もともしく、書を読むべきやどもなく、明窓浄几なく、夜は灯なければ、書を読むことかなはず、田をつくり薪をとる暇にも、すこしばかり書を借りもとめて読む者あり、あはれむべし。しかるに今富める人の子は、衣をあたたかに著、食にあき、家居よくして、書をよむに師あり。財多ければ五車の書を求めやすく、明窓浄几あり、筆硯紙墨、精良を極めて不足なることなし。
-
『講孟余話』告子上 第九章弈秋をして二人に弈を誨へしむ。此の喩甚だ的切なり。再三反復して以て志を励ますべし。韓文公の符読書城南の詩に、「両家各子を生む、提孩巧みに相如たり」云々とあるは、学ぶと学ばざるとに就きて、初めは同様なる人物の、一は龍となり、一は豬となることを云ふ。此の喩は同じく学ぶ内に就きて、心を専らにすると否らざるとに因りて、一は巧となり、一は拙となることを云ふ。併せ考ふべし。抑々余是に由りて遊学の益あることを知る。今萩中学に志す者何ぞ限りあらん。然れども俗事紛冗、東奔西走、日夜已むことなし。其の閑を以て書を読み道を講ず。故に心志専一ならず、機脈貫通せず、何ぞ成就することを得ん。断然国を出でて遊学をなす如きは、俗事を排去し、学事の外門を出でず、人に接せざることを得。是を以て心専らに志致して、学も亦進むこと百倍するなり。或ひと云く、「入りては孝、出でては弟、暇日を以て孝悌忠信を修む、皆学に非ざるはなし。且つ遊学して花柳に戯れ詩酒に狂し、以て光陰を費やす者亦衆し。未だ遊学の益たるを知らず」と。云く、世固より之あり。然れども花柳詩酒に陥る如きは真に道に志す者の必ず暇あらざる所なり。又今の俗事は孝悌忠信の義にも非ざる者多し。之を要するに専と云ひ、致と云ふ、学問の工夫爰にあり。
-
言志四録・言志耋録 第十六条 源有る活水源有るの活水には、浮萍も自ら潔し。源無きの濁沼には、蓴菜も亦汚る。
-
説苑・奉使晏子將に荊に使いせんとす。荊王之を聞き、左右に謂いて曰く、「晏子は賢人なり。今方に來らんとす。之を辱めんと欲す、何を以てせん。」左右對えて曰く、「其の來るに爲り、臣請う一人を縛りて王を過りて行かしめん。」是に於て荊王晏子と立ちて語る。一人を縛る有り、王を過りて行く。王曰く、「何を爲す者ぞ。」對えて曰く、「齊人なり。」王曰く、「何の坐ぞ。」曰く、「盜に坐す。」王曰く、「齊人固より盜するか。」晏子反顧して之に曰く、「江南に橘有り、齊王人をして之を取りて江北に樹えしむるに、生じて橘と爲らず、乃ち枳と爲る。然る所以は何ぞ。其の土地之をして然らしむるなり。今齊人齊に居りて盜せず、荊に來りて盜す、土地之をして然らしむる無きを得んか。」荊王曰く、「吾子を傷つけんと欲して反りて自ら中れり。」
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る