言志四録 / 言志耋録 第四条 註も亦経なり
漢唐之註經。註。即註也。宋賢之註經。註。亦經也。讀者所宜精究。但過泥註文。則又於經旨。無自得。學者不可不知。
新字:漢唐之註経。註。即註也。宋賢之註経。註。亦経也。読者所宜精究。但過泥註文。則又於経旨。無自得。学者不可不知。
書き下し
漢唐の経を註する、註は即ち註なり。宋賢の経を註する、註は亦経なり。読む者の宜しく精究すべき所なり。但だ過ぎて註文に泥めば、則ち又経旨に於て自得する無し。学者知らざるべからず。
現代語訳
漢や唐の時代の儒者が経書に付けた注釈は、注釈はあくまで注釈にすぎない。宋の賢人たちが経書に付けた注釈は、注釈そのものがまた経書に匹敵する。読む者が詳しく究めるべきものである。ただし、注釈の文にあまりにこだわると、かえって経書の本旨について自ら会得することがなくなる。学ぶ者はこのことを知っておかなければならない。
解説
漢唐の注釈は字句の意味を明らかにする訓詁が中心でしたが、朱子ら宋の儒者の注釈は、経書の道理を掘り下げ、それ自体が思想となっています。だから一斎は「註も亦経なり」と、宋儒の注を精読すべきものと認めます。そのうえで、注釈に縛られすぎると経書そのものの意味を自分でつかめなくなると戒めます。昌平坂学問所で朱子の注を講じる立場にありながら、自得を何より重んじた一斎の、両面をよく表す一条です。優れた解説書や先人のノウハウを尊重しつつ、それに頼り切らず自分の頭で原典や現場に向き合う。その釣り合いを考えさせてくれます。
この章句が説くこと
経学注釈自得朱子学読書
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