言志四録 / 言志録 第二百三十五条 意味は我が心を以て透入す
經書文字。以文字注明之可也。意味則當以我心透入得之。畢竟不能着文字。
新字:経書文字。以文字注明之可也。意味則当以我心透入得之。畢竟不能着文字。
書き下し
経書の文字は、文字を以て之を注明するは可なり。意味は則ち当に我が心を以て透入して之を得べし。畢竟文字を着くる能はず。
現代語訳
経書の文字については、文字によって注釈し明らかにするのはよい。しかしその意味は、自分の心で深く入り込んで会得すべきものである。結局のところ、意味そのものに文字を付けることはできない。
解説
この条から数条、一斎は経書の読み方を続けて論じます。字句の意味や典拠を注で明らかにする作業は必要だと認めつつ、書かれている道理そのものは、自分の心で内側から入り込んで得るほかないと言います。「文字を着くる能はず」とは、言葉にした瞬間に取りこぼすものがある、ということでしょう。朱子学の精密な注釈の伝統を受けながら、心で得ることを重んじる陽明学にも通じた一斎らしい立場です。マニュアルや研修資料は言葉として整えられても、仕事の勘所は自分で腹に落とすしかありません。その違いを意識しているかを問う条です。
この章句が説くこと
読書経書自得心学注釈
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