言志四録 / 言志晩録 別存 第四条 朱註は後出なれど古に復す
公曰。爲漢學者。呼朱註爲新註。不知朱註雖後出。其旨復古也。漢唐。時代雖古。而於孔子之旨。則未達。卻是不古。
新字:公曰。為漢学者。呼朱註為新註。不知朱註雖後出。其旨復古也。漢唐。時代雖古。而於孔子之旨。則未達。却是不古。
書き下し
公曰く、「漢学を為す者は、朱註を呼びて新註と為す。知らず、朱註は後に出づと雖も、其の旨は古に復するなり。漢唐は、時代古しと雖も、孔子の旨に於ては則ち未だ達せず。却つて是れ古ならず」と。
現代語訳
公(林述斎)は言った。「漢学(漢・唐の古注を重んじる学)をする者は、朱子の注釈を『新注』と呼ぶ。だが彼らは知らないのだ。朱子の注は後の時代に出たとはいえ、その趣旨は古の聖人の道に立ち返るものである。漢・唐は時代こそ古いが、孔子の本旨にはまだ到達していない。かえってそれこそ古くない(古の道にかなっていない)のである」。
解説
古注を奉じる学者が朱子の注を「新註」と呼んで軽んじることへの反論です。述斎は、時代が古いことと孔子の本旨に近いことは別だと言います。朱子は後代の人でも、その注は聖人の道に「復古」するものであり、漢唐の注は時代が古くても孔子の真意に達していないから、かえって古くないというのです。前条と同じく、朱子学を正統とする林家の立場を示すものですが、「古い」かどうかを年代ではなく本質への近さで測るという視点は興味深いところです。慣習や前例を「昔からそうだから」と守るとき、それが本来の目的に近いのかを問い直す手がかりになります。
この章句が説くこと
復古朱子学本質正統学問観
関連する章句
-
孟子・離婁章句上孟子曰く、「不孝に三有り。後無きを大なりと為す。舜の告げずして娶るは、後無きが為なり。君子以て猶ほ告ぐるがごとしと為す。」
-
孟子・盡心章句上孟子曰く、「仲子は、不義にして之に齊國を與うるも、受けず。人皆之を信ず。是れ簞食・豆羹を舎つるの義なり。人は親戚・君臣・上下を亡するより大なるは莫し。其の小なる者を以て其の大なる者を信ぜば、奚くんぞ可ならんや。」
-
老子・第14章之を視れども見えず、名づけて夷と曰う。之を聴けども聞こえず、名づけて希と曰う。之を搏てども得ず、名づけて微と曰う。此の三者は詰を致すべからず、故に混じて一と為る。其の上は皦らかならず、其の下は昧からず。縄縄として名づくべからず、無物に復帰す。是を無状の状、無物の象と謂い、是を惚恍と謂う。之を迎うれども其の首を見ず、之に随えども其の後を見ず。古の道を執りて、以て今の有を御す。能く古始を知る、是を道紀と謂う。
-
老子・第44章名と身と孰れか親しき。身と貨と孰れか多なる。得ると亡うと孰れか病なる。甚だ愛すれば必ず大いに費え、多く蔵すれば必ず厚く亡う。故に足るを知れば辱められず、止まるを知れば殆うからず、以て長久なるべし。
-
論語・述而篇子曰わく、黙してこれを識り、学びて厭わず、人を誨えて倦まず、我に何か有らんや。
-
孟子・盡心章句下高子曰く、「禹の聲は、文王の聲より尚し。」孟子曰く、「何を以て之を言う。」曰く、「追(タイ)の蠡(レイ)せるを以てなり。」曰く、「是れ奚ぞ足らんや。城門の軌は、兩馬の力ならんや。」
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る