言志四録 / 言志耋録 序 耋録自題
余今年齡躋八帙。耳目未至太衰。何其幸也。一息之存。學匪可廢。單記成編。呼曰耋錄。嘉永辛亥夏五月一齋老人自題
新字:余今年齢躋八帙。耳目未至太衰。何其幸也。一息之存。学匪可廃。単記成編。呼曰耋録。嘉永辛亥夏五月一斎老人自題
書き下し
余今年齢八帙に躋る。耳目未だ太だしくは衰ふるに至らず。何ぞ其れ幸ひなるや。一息の存する、学廃すべきに匪ず。単記編を成し、呼びて耋録と曰ふ。(嘉永辛亥夏五月、一斎老人自ら題す)
現代語訳
私は今年、八十歳に達した。耳も目もまだひどくは衰えていない。何と幸いなことか。一息でも命があるかぎり、学問をやめてよいはずがない。書きためた覚え書きが一編となったので、これを『耋録』と名づける。(嘉永四年〈一八五一〉夏五月、一斎老人が自ら題す)
解説
『言志耋録』の冒頭に一斎自身が記した題辞です。「耋」は八十歳前後の老人を指す字で、嘉永四年、数え八十歳になった一斎が、耳目がまだ衰えていないことを喜びつつ、息のあるかぎり学問はやめられないと述べています。四十二歳で『言志録』を書き始めてから四十年近く、昌平坂学問所の儒官として公務にあたりながら書き続けた覚え書きが、ここで第四の書にまとまりました。学びを若い時期の準備と考えず、生涯続く営みとしてとらえる姿勢がよく表れています。役職や年齢の区切りで学びを止めていないか、自らを振り返る材料になる一文です。
この章句が説くこと
生涯学習老い学問志自序
関連する章句
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『慎思録』巻之六古来本邦の文学の士、往往詩文を作為することを喜ぶ。其の工夫甚だ苦し。然れども其の文字多しと雖も、中華の作に似ず、作文の法度無き者多し。惜しむべし、箇の無益の閑労擾を做し、枉げて心力を費やすことを。若し果たして道を求むるの志有らば、断じて此に到らじ。
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うひ山ぶみ・注[ロ]かのしなじなある学びのすぢすぢ外の国の事に用ひんよりは、わがみづからの国の事に用ひまほしく思ふ也、その勝劣のさだなどは、姑くさしおきて、まづよその事にのみかゝづらひて、わが内の国の事をしらざらんは、くちをしきわざならざらんや、志を高く大きにたてて云々、すべて学問は、はじめよりその心ざしを、高く大きに立テて、その奥を究めつくさずはやまじと、かたく思ひまうくべし、此志よわくては、学問すゝみがたく、倦怠るもの也、主としてよるべきすぢは云々、道を学ぶを主とすべき子細は、今さらいふにも及ばぬことなれども、いさゝかいはば、まづ人として、人の道はいかなるものぞといふことを、しらで有べきにあらず、学問の志なきものは、論のかぎりにはあらず、かりそめにもその心ざしあらむ者は、同じくは道のために、力を用ふべきこと也、然るに道の事をば、なほざりにさしおきて、たゞ末の事にのみ、かゝづらひをらむは、学問の本意にあらず、さて道を学ぶにつきては、天地の間にわたりて、殊にすぐれたる、まことの道の伝はれる、御国に生れ来つるは、
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