言志四録 / 言志晩録 別存 第十七条 蕉隠より蕉軒へ
公之未出也。居於城東濱街。自占數百區。園唯植芭蕉無他樹。因自號蕉隱。及出仕。則改隱爲軒。然終身不忘舊隱。仍以蕉字冠之。
新字:公之未出也。居於城東浜街。自占数百区。園唯植芭蕉無他樹。因自号蕉隠。及出仕。則改隠為軒。然終身不忘旧隠。仍以蕉字冠之。
書き下し
公の未だ出でざるや、城東の浜街に居り、自ら数百区を占む。園には唯芭蕉を植ゑて他樹無し。因りて自ら蕉隠と号す。出仕するに及びて、則ち隠を改めて軒と為す。然れども終身旧隠を忘れず、仍ほ蕉の字を以て之に冠す。
現代語訳
公(林述斎)がまだ仕官する前は、江戸城の東、浜町に住み、自ら数百区画もの土地を占めていた。庭にはただ芭蕉だけを植え、ほかの木はなかった。そこで自ら「蕉隠」と号した。仕官してからは「隠」を改めて「軒」とした(蕉軒)。しかし生涯、かつての隠棲を忘れず、なおも「蕉」の字を号の頭に冠していた。
解説
述斎の号の由来を記した短い条です。林家を継ぐ前、述斎は浜町に広い屋敷を構え、庭には芭蕉だけを植えて「蕉隠」と号していました。出仕すると「隠」を「軒」に改めて「蕉軒」としましたが、「蕉」の字は生涯手放さなかったといいます。隠者の身から公の役目に就いても、かつての自由な境地を心のどこかに持ち続けたということでしょう。前に見た別荘での逍遥や音楽の楽しみとも通じます。一斎が号の変化という小さな事実を書き留めたのは、そこに述斎の人となりが表れていると見たからだと思われます。役職に就いても、自分の原点や素の姿をどこかに残しておくことの意味を考えさせます。
この章句が説くこと
号隠逸出仕初心人となり
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