言志四録 / 言志晩録 別存 第二条 快烈公の遺嘱
公歿前有遺囑數件。且曰。吾學終身讓精微。但倭漢古今。文武雅俗。頗能兼綜。聊供時用而已。吾子率先吾子弟。勿使之蹈襲雜學。余唯唯而退。葢公閒氣非常之資。爲適用之學。常人固非可跂及。並以錄貽。
新字:公歿前有遺囑数件。且曰。吾学終身譲精微。但倭漢古今。文武雅俗。頗能兼綜。聊供時用而已。吾子率先吾子弟。勿使之蹈襲雑学。余唯唯而退。葢公閒気非常之資。為適用之学。常人固非可跂及。並以録貽。
書き下し
公歿する前に遺嘱数件有り。且つ曰く、「吾が学は終身精微に譲る。但だ倭漢古今、文武雅俗、頗る能く兼綜し、聊か時用に供するのみ。吾子、吾が子弟を率先し、之をして雑学を蹈襲せしむること勿れ」と。余唯唯として退く。蓋し公は間気非常の資にして、適用の学を為す。常人固より跂ち及ぶべきに非ず。並びに以て録し貽す。
現代語訳
公(林述斎)は亡くなる前に、いくつかの遺言を残した。そのうえで言った。「私の学問は、生涯を通じて精密さ・微妙さの点では人に譲る。ただ和漢・古今・文武・雅俗にわたって、かなり幅広く兼ね合わせ、いささか当時の役に立てたにすぎない。あなた(一斎)は私の子弟の先頭に立って導き、彼らに雑多な学問をまねさせることのないようにしてほしい」。私は「はい」とかしこまって退いた。思うに公は、世にまれな特別の資質の持ち主であり、実際に役立つ学問をなした人であった。普通の人がつま先立ちしても及ぶものではない。あわせて記して後に残す。
解説
林述斎が臨終を前に一斎へ託した言葉です。述斎は自らの学問を「精微さでは人に譲る」と謙遜しつつ、和漢・古今・文武・雅俗を幅広く兼ね、時の用に役立てたと振り返ります。そのうえで、林家の子弟には雑学をまねさせるなと一斎に頼みました。一見矛盾するようですが、一斎は、述斎のような幅の広さは非凡な資質があって初めて実用に結びつくもので、常人がまねれば散漫な雑学に陥るだけだと解しています。述斎の死後、一斎は七十歳で昌平坂学問所の儒官となり、その託された役目を担いました。優れた人のやり方をそのまま型として後進に課してよいのか、指導する立場の人には考えさせられる一条です。
この章句が説くこと
遺言博学雑学後進の育成実用の学
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