言志四録 / 言志晩録 別存 第十六条 十三歳の倭歌
公又能倭歌。毎與少將樂翁公參政水月公相唱酬。當時既有濹上百咏小刻。余家又存公十三歲時倭歌。早已非凡。
新字:公又能倭歌。毎与少将楽翁公参政水月公相唱酬。当時既有濹上百咏小刻。余家又存公十三歳時倭歌。早已非凡。
書き下し
公又能く倭歌す。毎に少将楽翁公・参政水月公と相唱酬す。当時既に濹上百咏の小刻有り。余が家又公十三歳の時の倭歌を存す。早くより已に非凡なり。
現代語訳
公(林述斎)はまた和歌にも巧みであった。いつも少将楽翁公(松平定信)や参政の水月公と歌をやりとりした。当時すでに『濹上百詠』という小さな刊本があった。私の家にも、公が十三歳のときに詠んだ和歌が残っている。早くからすでに非凡であった。
解説
述斎が漢詩だけでなく和歌にも優れていたことを記した条です。唱和の相手として挙がる楽翁公は、寛政の改革を行った老中・松平定信で、隅田川のほとりで詠んだ『濹上百詠』という小冊子も出ていたといいます。一斎の家には述斎が十三歳で詠んだ歌が残っており、早くから非凡だったと記しています。儒者でありながら和歌をよくしたことは、第二条で述斎自身が語った「倭漢古今、文武雅俗を兼綜す」という幅の広さの一例です。幕政の中枢にいた人々が歌のやりとりで交わっていたことも、当時の教養のあり方を伝えています。仕事の外に共通の楽しみを持つことが、人との信頼を深める場合もあることを思わせます。
この章句が説くこと
和歌教養交友才能文雅
関連する章句
-
言志四録・言志晩録 別存 第十条 一夜に百律を作る公幼より詩を好む。十八歳の時、一夜を限りて百律を作る。既に長じて、詩人木口韓斎と交を訂して唱和す。晩年渾化して、益々超妙、自ら一家を成す。
-
『論語と算盤』人格と修養・楽翁公の幼時『十余り二つの頃、著述を好みて通俗の書など集め、大学の条下にある事々を書き集めて人の教戒の便りにせまほしく思い立ちて書きけれども、古きことも覚え侍らぬ上、通俗の書は偽り多しと聞きければ止めたり。』もう十一二歳の頃から著述をして人の教えになろうと思うことを書き始められたのであるが、しかし古いことは知らず、また通俗の書を参考にする、事実を失うていることがあるから、読者を誤らしめてはならぬと思い返して止められたのである。『今思えば真西山の大学術義の旨趣に類したる大旨なれば、蒐め侍らざりしぞ幸いとも言うべきにぞ、この頃より歌も詠みたれど、皆腰折の類にて覚えもし侍らず、また頼りよる人もなければ、自ら詠みて反古にのみしたり、鈴鹿山の花の頃、旅人の行き交う様描きたるを見て、鈴鹿山旅路の宿は遠けれど振り捨てがたき花の木の下と詠みたるも、十余り一つの頃にありけん。』十一歳の時にすでにこういう歌を詠まれたのは、文芸上においても天才であったように思われます。
-
『論語と算盤』人格と修養・楽翁公の幼時『十余り二つの時、自教鑑という書を書きたり、大塚氏に添削を請いたれば、そのうちの書にしては見よきなり、今もあり、清書の頃、明和は七つとあれども五年の頃より作りたり、父上悦び給いて史記を賜う、今も蔵書になしぬ、十余り一つ二つの頃より詩を作りけれど、平仄も揃いかねて人にも言い難きなり、雨後の詩に虹晴清夕気雨歇散秋陰流水琴声響遠山黛色深また七夕の詩に七夕雲霧散織女渡銀河秋風鵲橋上今夜莫揚波と詠みたるも、多くの師の添削にあいたれば、かかる言葉とはなりたりける。』
-
言志四録・言志晩録 別存 第十五条 温恭慎徳の四字公年少の時、書を読むに常師無し。初め大塩鼇渚・服部仲山の両老を邀へて漢学を講ぜしむ。時に齢十八九、英気勃勃として、人に屈下するを肯ぜず。時時余を拉して有名の儒流に唐突し、討論難詰して、之をして屈伏せしむ。既にして頗る悔ゆる所有り、贄を太室渋井先生に執る。先生徳業並びに高く、毎に其の英気を抑ふ。一日、温恭慎徳の四字を書して警めらる。公為に感悟し、裱装して幅と為し、常に之を坐右に掲ぐ。此に至りて漸く才鋒を収め、旋りて実行に就き、声誉遂に一世に高し。此の幅今余に帰す。人其の由を知らず。録して此に貽す。
-
『論語と算盤』人格と修養・楽翁公の幼時楽翁公の伝はすでに広く世間に知れ渡っていることであるから、今改めて述ぶるまでもないのであるが、ここに述べんとするは楽翁公の御自筆で、松平家の秘書となっている『撥雲秘録』というものによりて、いささか公の御幼時における一端を窺うと同時に、その御人格御精神等の非凡なる所以を紹介しようと思うのである。すなわち『六つの年に大病に罹りたり、生くべきほど心許なかりけれど、高島朔庵法眼等多くの医師打ち集いて医しぬ、九月の頃平癒す、七つの頃にやありけん、孝経を読み習い仮名なんど習いたり、八つ九つの頃、人々皆記憶もよく才もありとて褒めののしりければ、我が心ながらさもあることよと思いしぞはかなかれ。』これは御利口だ御利口だと皆がお世辞を言うから、自分自身は利口なつもりでいたのが恥ずかしいという、懐旧の情を述べられたので、甚だゆかしき述懐である。
-
言志四録・言志晩録 別存 第二条 快烈公の遺嘱公歿する前に遺嘱数件有り。且つ曰く、「吾が学は終身精微に譲る。但だ倭漢古今、文武雅俗、頗る能く兼綜し、聊か時用に供するのみ。吾子、吾が子弟を率先し、之をして雑学を蹈襲せしむること勿れ」と。余唯唯として退く。蓋し公は間気非常の資にして、適用の学を為す。常人固より跂ち及ぶべきに非ず。並びに以て録し貽す。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る