言志四録 / 言志晩録 別存 第二十二条 榴房の福
公無適配。側室橘閨孺人多產。晩年戲作子孫表。合內外男女孫曾。凡一百六十五人。榴房之福。世所罕見。
新字:公無適配。側室橘閨孺人多産。晩年戯作子孫表。合内外男女孫曽。凡一百六十五人。榴房之福。世所罕見。
書き下し
公に適配無し。側室橘閨孺人、多く産む。晩年戯れに子孫の表を作る。内外の男女孫曾を合はせて、凡そ一百六十五人。榴房の福、世に罕に見る所なり。
現代語訳
公(林述斎)には正妻がいなかった。側室の橘閨孺人が多くの子を産んだ。晩年、戯れに子孫の一覧表を作ったところ、内孫・外孫、男女、孫と曾孫を合わせて、およそ百六十五人であった。子宝に恵まれるという幸いは、世にまれに見るものである。
解説
述斎の子孫の多さを記した短い条です。述斎は正妻を持たず、側室が多くの子を産みました。晩年に戯れに子孫の表を作ると、孫や曾孫まで合わせて百六十五人に及んだといいます。「榴房」はざくろの実のことで、種が多いことから子孫繁栄のたとえに用いられます。述斎の子には、後に林家を継いだ者のほか、他家に養子に入って幕府で活躍した者も少なくありませんでした。一斎がこれを「世に罕に見る」福と記したのは、衰えていた林家を再興した述斎が、家の血脈においても中興を果たしたと見たからでしょう。自分の築いたものが次の世代にどうつながっていくのかという視点を、改めて思い起こさせます。
この章句が説くこと
子孫家の繁栄福継承晩年
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