言志四録 / 言志晩録 別存 第十条 一夜に百律を作る
公自幼好詩。十八歲時。限一夜作百律。既長。與詩人木口韓齋訂交唱和。晩年渾化。益超玅。自成一家。
新字:公自幼好詩。十八歳時。限一夜作百律。既長。与詩人木口韓斎訂交唱和。晩年渾化。益超玅。自成一家。
書き下し
公幼より詩を好む。十八歳の時、一夜を限りて百律を作る。既に長じて、詩人木口韓斎と交を訂して唱和す。晩年渾化して、益々超妙、自ら一家を成す。
現代語訳
公(林述斎)は幼いころから詩を好んだ。十八歳のとき、一晩のうちに律詩を百首作った。成長してからは詩人の木口韓斎と親交を結び、詩をやりとりした。晩年には作風が円熟して角がとれ、ますます卓越した境地に至り、おのずから一家をなした。
解説
述斎の詩人としての側面を記した短い条です。十八歳で一夜に律詩百首を作ったという話は、若き日の才気と勢いをよく伝えています。成長してからは詩人と交わって唱和し、晩年には作風が「渾化」、つまり角がとれて一つに溶け合い、ますます優れた独自の境地に達したといいます。若いころの量と勢い、交友による研磨、そして年を経ての円熟という三つの段階が一文の中に収まっているのが印象的です。一斎自身も四十二歳から八十歳過ぎまで書き続けた人であり、年とともに深まる営みへの関心がうかがえます。技能が若さの勢いから円熟へと移っていく道筋を、自分の仕事に重ねて考えることができます。
この章句が説くこと
詩作修練円熟交友才気
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