言志四録 / 言志晩録 別存 第十四条 邯鄲夢中の説話
公嘗來余樓上。攜一行厨見示。曰。此物吾子記之否。余不記。公乃曰。此物係伯氏騎行玉川時所佩者。飾訖。活畜香魚於此厨。并見貺。時吾子七八歲。來翫弄香魚。余叱之。吾子時余之亾。竊來拈香魚盡殺之。余怒拳打吾子。吾子泣號。幼時黠甚如此。今則道學先生也。一咲。余聽此言愕然。殆是邯鄲夢中說話也。
新字:公嘗来余楼上。攜一行厨見示。曰。此物吾子記之否。余不記。公乃曰。此物係伯氏騎行玉川時所佩者。飾訖。活畜香魚於此厨。并見貺。時吾子七八歳。来翫弄香魚。余叱之。吾子時余之亾。窃来拈香魚尽殺之。余怒拳打吾子。吾子泣号。幼時黠甚如此。今則道学先生也。一咲。余聴此言愕然。殆是邯鄲夢中説話也。
書き下し
公嘗て余の楼上に来り、一行厨を携へて示されて曰く、「此の物、吾子之を記するや否や」と。余記せず。公乃ち曰く、「此の物は伯氏の玉川に騎行せし時に佩ぶる所の者に係る。飾り訖りて、香魚を此の厨に活畜し、并せて貺らる。時に吾子七八歳、来りて香魚を翫弄す。余之を叱す。吾子余の亡きを時として、竊かに来りて香魚を拈り尽く之を殺す。余怒りて吾子を拳打す。吾子泣き号ぶ。幼時の黠きこと甚しきこと此くの如し。今は則ち道学先生なり」と。一笑す。余此の言を聴きて愕然たり。殆ど是れ邯鄲夢中の説話なり。
現代語訳
公(林述斎)はかつて私の住まいの二階に来て、携帯用の弁当箱を一つ持ってきて見せ、言った。「これを覚えているか」。私は覚えていなかった。公は言った。「これは兄上が玉川へ馬で出かけたときに携えていたものだ。手入れを終えると、この箱に生きた鮎を入れて飼い、箱ごと贈ってくださった。そのときあなたは七、八歳で、やって来ては鮎をいじって遊んだ。私は叱りつけた。するとあなたは私のいない隙をうかがい、こっそり来て鮎をつまみ出し、すっかり殺してしまった。私は怒ってあなたを拳で打ち、あなたは泣きわめいた。幼いころはそれほど悪賢かったのだ。それが今では道学先生だ」。そう言って笑った。私はこの話を聞いて驚きあきれた。まるで邯鄲の夢の中の話のようであった。
解説
この章句が説くこと
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