言志四録 / 言志晩録 別存 第十五条 温恭慎徳の四字
公年少時。讀書無常師。初邀大鹽鼇渚服部仲山兩老講漢學。時齡十八九。英氣勃勃。不肯屈下人。時時拉余唐突於有名儒流。討論難詰。使之屈伏。既而頗有所悔。執贄於太室澁井先生。先生德業竝高。毎抑其英氣。一日書温恭愼德四字見警。公爲感悟。裱裝爲幅。常揭之坐右。至此漸收才鋒。旋就實行。聲譽遂高一世。此幅今歸於余。人不知其由。錄貽於此。
新字:公年少時。読書無常師。初邀大塩鼇渚服部仲山両老講漢学。時齢十八九。英気勃勃。不肯屈下人。時時拉余唐突於有名儒流。討論難詰。使之屈伏。既而頗有所悔。執贄於太室渋井先生。先生徳業並高。毎抑其英気。一日書温恭慎徳四字見警。公為感悟。裱装為幅。常掲之坐右。至此漸収才鋒。旋就実行。声誉遂高一世。此幅今帰於余。人不知其由。録貽於此。
書き下し
公年少の時、書を読むに常師無し。初め大塩鼇渚・服部仲山の両老を邀へて漢学を講ぜしむ。時に齢十八九、英気勃勃として、人に屈下するを肯ぜず。時時余を拉して有名の儒流に唐突し、討論難詰して、之をして屈伏せしむ。既にして頗る悔ゆる所有り、贄を太室渋井先生に執る。先生徳業並びに高く、毎に其の英気を抑ふ。一日、温恭慎徳の四字を書して警めらる。公為に感悟し、裱装して幅と為し、常に之を坐右に掲ぐ。此に至りて漸く才鋒を収め、旋りて実行に就き、声誉遂に一世に高し。此の幅今余に帰す。人其の由を知らず。録して此に貽す。
現代語訳
公(林述斎)は若いころ、学問に決まった師がいなかった。初めは大塩鼇渚と服部仲山の二人の老儒を招いて漢学を講義させた。当時十八、九歳で、才気があふれ、人にへりくだろうとはしなかった。しばしば私を引き連れて名のある儒者のもとに押しかけ、議論して問い詰め、相手を屈服させた。やがてそれを大いに悔いるところがあって、渋井太室先生に入門した。先生は徳も学問もともに高く、いつも公の鋭い気性を抑えた。ある日、「温恭慎徳」(おだやかでうやうやしく、徳を慎む)の四字を書いて戒めとした。公はこれに深く感じ悟り、表装して掛け軸にし、いつも座右に掲げた。こうして次第に才気の鋒先を収め、実践に向かうようになり、その名声はついに一世に高くなった。この掛け軸は今、私のもとにある。人はそのいわれを知らないので、ここに記して残す。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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司馬法・天子之義国に在りては言(げん)文にして語(ご)温かに、朝(ちょう)に在りては恭(きょう)にして以て遜(そん)、己を修めて以て人を待ち、召されざれば至らず、問われざれば言わず、進み難く退き易し。
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史記 魏公子列伝魏に隠士有り、侯嬴と曰ふ、年七十、家貧しく、大梁の夷門の監者為り。公子これを聞き、往きて請ひ、厚くこれに遺らんと欲す。受くるを肯んぜずして曰く、「臣、身を脩め行ひを絜くすること数十年、終に監門の困しみの故を以て公子の財を受けず」と。公子是に於いて乃ち酒を置きて大いに賓客を会す。坐定まり、公子車騎を従へ、左を虚しくして、自ら夷門の侯生を迎ふ。侯生、敝れたる衣冠を摂め、直ちに上りて公子の上坐に載り、譲らず、以て公子を観んと欲す。公子轡を執ること愈々恭し。侯生また公子に謂ひて曰く、「臣に客の市の屠中に在る有り、願はくは車騎を枉げてこれに過れ」と。公子車を引きて市に入る。侯生下りてその客朱亥に見え、俾倪して故らに久しく立ち、その客と語り、微かに公子を察す。公子の顔色愈々和らぐ。是の時に当たり、魏の将相・宗室・賓客堂に満ち、公子の酒を挙ぐるを待つ。市人皆公子の轡を執るを観る。従騎皆竊かに侯生を罵る。侯生、公子の色の終に変ぜざるを視て、乃ち客に謝して車に就く。家に至り、公子、侯生を引きて上坐に坐せしめ、遍く賓客に賛す、賓客皆驚く。酒酣にして、公子起ち、寿を侯生の前に為す。侯生因りて公子に謂ひて曰く、「今日、嬴の公子の為にするもまた足れり。嬴は乃ち夷門の抱関者なり、而るに公子親ら車騎を枉げ、自ら嬴を衆人広坐の中に迎ふ、宜しく過る所有るべからざるに、今公子故らにこれに過る。然れども嬴は公子の名を就さんと欲す、故に久しく公子の車騎を市中に立たしめ、客に過りて以て公子を観る、公子愈々恭し。市人皆嬴を以て小人と為し、而して公子を以て長者にして能く士に下ると為すなり」と。是に於いて酒を罷め、侯生遂に上客と為る。
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老子・第8章上善は水の若し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る。故に道に幾し。居は地を善しとし、心は淵を善しとし、与は仁を善しとし、言は信を善しとし、正は治を善しとし、事は能を善しとし、動は時を善しとす。夫れ唯だ争わず、故に尤め無し。
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史記 老子韓非列伝老子は、楚の苦県厲郷曲仁里の人なり。姓は李氏、名は耳、字は耼、周の守藏室の史なり。孔子、周に適き、将に礼を老子に問はんとす。老子曰く、「子の言ふ所の者は、其の人と骨と皆已に朽つ。独り其の言在るのみ。且つ君子は其の時を得ば則ち駕し、其の時を得ざれば則ち蓬累して行く。吾之を聞く、良賈は深く藏して虚しきが若く、君子は盛徳あるも容貌は愚なるが若し、と。子の驕気と多欲、態色と淫志を去れ。是れ皆子の身に益無し。吾が以て子に告ぐる所は、是くの若きのみ」と。孔子去り、弟子に謂ひて曰く、「鳥は、吾其の能く飛ぶを知る。魚は、吾其の能く游ぐを知る。獣は、吾其の能く走るを知る。走る者には以て罔を為す可く、游ぐ者には以て綸を為す可く、飛ぶ者には以て矰を為す可し。龍に至りては、吾其の風雲に乗りて天に上るを知る能はず。吾今日老子を見るに、其れ猶ほ龍のごときか」と。
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史記 管晏列伝晏子斉の相たり。出づ。其の御の妻、門間よりして其の夫を闚ふ。其の夫、相の御を為して、大蓋を擁し、駟馬に策ち、意気揚揚として甚だ自ら得たるなり。既にして帰る。其の妻去らんことを請ふ。夫其の故を問ふ。妻曰く、「晏子の長けは六尺に満たずして、身は斉国に相たり、名は諸侯に顕はる。今妾其の出づるを覩るに、志念深く、常に自ら下る有る者なり。今子は長け八尺、乃ち人の僕御為り、然るに子の意は自ら以て足れりと為す。妾是の以に去らんことを求むるなり」と。其の後夫自ら抑損す。晏子怪しみて之を問ふ。御実を以て対ふ。晏子薦めて大夫と為す。
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史記 魏公子列伝魏の公子無忌は、魏の昭王の少子にして魏の安釐王の異母弟なり。昭王薨じ、安釐王即位し、公子を封じて信陵君と為す。是の時、范睢魏を亡げて秦に相たり、魏斉を怨むの故を以て、秦の兵大梁を囲み、魏の華陽の下の軍を破り、芒卯を走らす。魏王及び公子これを患ふ。公子は人と為り仁にして士に下り、士は賢不肖と無く皆謙りて礼もてこれに交はり、敢へてその富貴を以て士に驕らず。士は此を以て方数千里争ひ往きてこれに帰し、食客三千人を致す。是の時に当たりて、諸侯は公子の賢にして客多きを以て、敢へて兵を加へて魏を謀らざること十余年。
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