言志四録 / 言志晩録 別存 第四十二条 識量の大にして公なる
公曰。宋儒於經各有發明。不相讓也。但經註立之於學館。以爲令甲。則不得不一。以科試之故也。彼土爲學士講官者。皆遵奉令甲。而尙存私撰。不必禁。今吾承乏司成。培養人材。當廣以宋學統率之。不問持論精微之小異。又不阻人各有私撰。不然不能培養人材。余服其識量之大且公。特錄貽諸後。
新字:公曰。宋儒於経各有発明。不相譲也。但経註立之於学館。以為令甲。則不得不一。以科試之故也。彼土為学士講官者。皆遵奉令甲。而尚存私撰。不必禁。今吾承乏司成。培養人材。当広以宋学統率之。不問持論精微之小異。又不阻人各有私撰。不然不能培養人材。余服其識量之大且公。特録貽諸後。
書き下し
公曰く、宋儒は経に於て各々発明有り、相譲らざるなり。但だ経註の之を学館に立てて、以て令甲と為すときは、則ち一ならざるを得ず。科試の故を以てなり。彼の土の学士講官たる者は、皆令甲を遵奉して、尚ほ私撰を存す。必ずしも禁ぜず。今吾乏しきを司成に承け、人材を培養す。当に広く宋学を以て之を統率すべし。持論精微の小異を問はず、又人の各々私撰有るを阻まず。然らずんば人材を培養する能はず、と。余其の識量の大にして且つ公なるに服す。特に録して諸を後に貽す。
現代語訳
公は言った。「宋の儒者たちは経書についてそれぞれ新しい解釈を打ち出し、互いに譲らなかった。ただ、経書の注釈を学校に採用して公の定め(令甲)とする以上は、一つに統一せざるをえない。科挙の試験があるからである。かの国(中国)で学士や講官を務める者は、みな公定の注釈を遵守しながら、なお自分で著した注釈を持っており、それを必ずしも禁じはしなかった。いま私は力不足ながら大学頭(司成)の職を受け継ぎ、人材を育てる立場にある。広く宋学(朱子学)によって全体をまとめるべきではあるが、議論の細かな違いは問わず、また人がそれぞれ自分の説を著すことも妨げない。そうでなければ人材を育てることはできない」と。私は公の見識と度量が大きく、しかも公平であることに感服した。特に記録して後の世に残す。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』襄公六年 同罪異罰は刑に非ず六年春、杞の桓公卒す。始めて赴(ふ)するに名を以てす。同盟の故なり。宋の華弱、樂轡と少くして相狎れ、長じて相優(たはむ)れ、又相謗る。子蕩怒り、弓を以て華弱を朝に梏す。平公之を見て曰く、「武を司りて朝に梏せらる。以て勝ち難し」と。遂に之を逐ふ。夏、宋の華弱來奔す。司城子罕曰く、「罪を同じうして罰を異にするは、刑に非ざるなり。朝に專戮す、罪孰れか焉より大ならん」と。亦た子蕩を逐ふ。子蕩、子罕の門を射て曰く、「幾日にして我に從はざらん」と。子罕、之を善くすること初めの如し。秋、滕の成公來朝す。始めて公に朝するなり。莒人、鄫を滅ぼす。鄫、賂を恃めばなり。冬、穆叔、邾に如く。聘し且つ平を脩むるなり。晉人、鄫の故を以て來り討めて曰く、「何の故に鄫を亡ぼせる」と。季武子、晉に如きて見え、且つ命を聽く。十一月、齊侯、萊を滅ぼす。萊、謀を恃めばなり。鄭の子國の來聘するに於てや、四月、晏弱、東陽に城きて、遂に萊を圍む。甲寅、之を堙(ふさ)ぎ、城を環りて、堞(ちょう)に傅(つ)く。杞の桓公卒するの月に及び、乙未、王湫、師を帥ゐて正輿子・棠人に及び、齊の師に軍す。齊の師、大いに之を敗る。丁未、萊に入る。萊の共公浮柔、棠に奔る。正輿子・王湫、莒に奔る。莒人之を殺す。四月、陳無宇、萊の宗器を襄公に獻ず。晏弱、棠を圍む。十一月、丙辰にして之を滅ぼす。萊を郳(げい)に遷す。高厚・崔杼、其の田を定む。
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論語・季氏篇陳亢、伯魚に問いて曰く、「子も亦た異聞有りや。」対えて曰く、「未だし。嘗て独り立てり。鯉趨りて庭を過ぐ。曰く、『詩を学びたるか。』対えて曰く、『未だし。』『詩を学ばずんば、以て言うこと無し。』鯉退きて詩を学ぶ。他日、又独り立てり。鯉趨りて庭を過ぐ。曰く、『礼を学びたるか。』対えて曰く、『未だし。』『礼を学ばずんば、以て立つこと無し。』鯉退きて礼を学ぶ。斯の二者を聞けり。」陳亢退きて喜びて曰く、「一を問いて三を得たり。詩を聞き、礼を聞き、又君子の其の子を遠ざくるを聞けり。」
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『呻吟語』内篇・應務・度量寬弘なれば受用の處有り世間に一處として拂意の事無きは無く、一日として拂意の事無きは無し。椎だ度量寬弘なれば受用の處有り。彼の局量褊淺なる者は空しく自ら懊恨するのみ。
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説苑・尊賢斉の桓公庭燎を設け、士の造り見えんと欲する者の為にす。期年にして士至らず。是に於いて東野の鄙人に九九の術を以て見えんとする者有り。桓公曰く、「九九何ぞ以て見ゆるに足らんや」と。鄙人対えて曰く、「臣九九を以て見ゆるに足れりと為すに非ず、臣聞く、主君庭燎を設けて以て士を待つも、期年にして士至らずと。夫れ士の至らざる所以の者は、君は天下の賢君なり、四方の士、皆自ら論ずるに君に及ばずと以て、故に至らざるなり。夫れ九九は薄能のみなるに、而れども君猶お之を礼す、況んや九九より賢れる者をや。夫れ太山は壌石を辞せず、江海は小流を逆えず、大を成す所以なり」と。詩に云う、「先民言える有り、芻蕘に詢う」と。博く謀ることを言うなり。桓公善しと曰いて、乃ち因りて之を礼す。期月にして四方の士、相携えて並び至る。詩に曰く、「堂より基に徂き、羊より牛に徂く」と。内を以て外に及び、小を以て大に及ぶことを言うなり。
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『呻吟語』内篇・應務・一葉の滄海に泛ぶが如し聖賢の量は空闊なり。事の胸中に到るは一葉の滄海に泛ぶが如し。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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