言志四録 / 言志晩録 第二百八十八条 無は有より生ず
無。不生於無。而生於有。死。不死於死。而死於生。
書き下し
無は、無より生ぜずして、有より生ず。死は、死より死せずして、生より死す。
現代語訳
無は、無から生じるのではなく、有から生じる。死は、死から死ぬのではなく、生から死ぬのである。
解説
一見すると謎かけのような短い一条です。「無」は、何もないところからは生まれず、何かが有るところから生まれる。有るものが消えて初めて無となるからです。同様に、死は死から来るのではなく、生きているものが死ぬのだと一斎は言います。つまり無と有、死と生は、切り離された別物ではなく、互いに相手を前提として成り立っている、ということです。老子の「有は無より生ず」を逆さにしたような言い回しで、無から万物を説く道家の考えに対し、有を根本に据える儒学の立場を示しているとも読めます。前後の条とともに、死を生の外にある恐ろしいものではなく、生の一部として受け止めようとする一斎の思索がうかがえます。
この章句が説くこと
死生観有無生思索
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