言志四録 / 言志晩録 第二百七十四条 我が軀は即ち親の軀
人壽自有天分。然又意我軀即親之軀。我事老親。一以喜。一以懼。則我老時。亦當自以喜懼。養生之念自此起。
新字:人寿自有天分。然又意我躯即親之躯。我事老親。一以喜。一以懼。則我老時。亦当自以喜懼。養生之念自此起。
書き下し
人の寿は自ら天分有り。然れども又意ふ、我が軀は即ち親の軀なり。我老親に事ふるに、一は以て喜び、一は以て懼る。則ち我老いたる時も、亦当に自ら以て喜懼すべし。養生の念此れより起る。
現代語訳
人の寿命にはおのずと天から与えられた分がある。しかしまた思うに、自分の体はすなわち親の体である。私が年老いた親に仕えたとき、一方では長寿を喜び、一方では衰えを恐れた。そうであれば、自分が老いたときも、自分自身についてやはり喜び恐れるべきである。養生の思いはここから起こるのである。
解説
『論語』里仁篇に「父母の年は知らざるべからず。一は則ち以て喜び、一は則ち以て懼る」とあります。親の年齢を覚えておき、長生きを喜ぶとともに、老い先を案じるという意味です。一斎はこれを自分に向け直します。自分の体は親から受けた体なのだから、自分が老いたときも、親に対したのと同じように、長寿を喜びつつ衰えを恐れ、身を慎むべきだと言います。寿命は天分だとしても、養生はしなければならないという理由を、孝の延長として説明しているわけです。自分の体を自分だけのものと思わず、受け継いだものとして扱う視点は、無理を重ねがちな働き方を見直すときにも静かな説得力を持ちます。
この章句が説くこと
養生孝寿命老い天分
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