言志四録 / 南洲手抄
凡生物皆資於養。天生而地養之。人則地之氣精英。吾欲靜坐以養氣、動行以養體、氣體相資、以養此生。所以從地而事天。
新字:凡生物皆資於養。天生而地養之。人則地之気精英。吾欲静坐以養気、動行以養体、気体相資、以養此生。所以従地而事天。
書き下し
凡そ生物は皆養を資る。天生じて地之を養ふ。人は則ち地の気の精英なり。吾れ静坐して以て気を養ひ、動行して以て体を養ひ、気と体と相資つて以て此の生を養はんと欲す。地に従うて天に事ふる所以なり。
現代語訳
すべての生き物は養いによって生きる。天が生み、地がこれを養う。人は地の気の最も優れた結晶である。私は静坐して気を養い、体を動かして体を養い、気と体が互いに支え合ってこの命を養いたい。これこそ地に従い天に仕える道である。
解説
一斎の養生観であり、心身一如の思想がよく表れた一条です。人は天地の恵みによって生かされている存在であり、その命を大切に養うことが、そのまま天地に仕えることだと説きます。注目すべきは「静坐して気を養い、動いて体を養う」という両輪です。静と動、内面の修養と身体の鍛錬を対にして、どちらも欠かさないことを重んじました。心の修養に偏りがちな精神論に対し、体を養うこともまた道の一部だと明言した点に、実践を重んじた一斎らしさがにじみます。
この章句が説くこと
養生心身一如静と動天地
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