言志四録 / 言志晩録 第二百六十三条 人事は皆是れ学
多少人事皆是學。人謂近來多事廢學。何其言之繆也。
新字:多少人事皆是学。人謂近来多事廃学。何其言之繆也。
書き下し
多少の人事は皆是れ学なり。人は近来多事にして学を廃すと謂ふ。何ぞ其の言の繆れるや。
現代語訳
多くの人間の事柄は、すべて学問である。人は「近ごろ用事が多くて学問をやめている」と言う。なんとその言葉の誤っていることか。
解説
忙しくて勉強できない、という言い訳に一斎は真っ向から反論します。日々の雑事、人との応対、家の事や職務、そうした人事のすべてが学問の場だからです。学問を書物を読むことに限る考え方への批判で、陽明学の「事上磨錬」、つまり実際の事に当たって心を磨くという考えに近いものがあります。一斎は朱子学を官学として講じながら、陽明学の実践性にも共感していました。言志四録には、書物より事に当たることを重んじる条が他にも見られます。忙しい時期こそ、目の前の仕事や人間関係そのものから何を学んでいるかを意識すると、学びが途切れることはないのかもしれません。
この章句が説くこと
学問人事事上磨錬忙しさ
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