言志四録 / 言志晩録 第二百六十条 老齢は慈に失す
老齡不失於酷。而失於慈。可警。
新字:老齢不失於酷。而失於慈。可警。
書き下し
老齢は酷に失せずして、慈に失す。警むべし。
現代語訳
年老いると、厳しすぎて失敗することはなく、慈しみすぎて失敗する。戒めるべきである。
解説
年をとると人は厳しさで誤ることは少なく、かえって甘さ、情け深さで誤るものだと一斎は言います。孫や若い者を叱れなくなる、情に流されて筋を曲げる、といったことでしょう。「慈」は本来よい徳ですが、度を越せば道理を損ないます。前条で老人が少年の態をなすことを戒めたのに続き、老いた者がとりわけ陥りやすい偏りを示しています。儒学では中庸、つまり過不足のないことが重んじられ、厳と慈のどちらに偏っても誤りだとされます。一斎は老境の自分を観察して、自身の偏りがどちらに出やすいかを見抜いていたわけです。立場が上がるほど部下に甘くなりがちなとき、優しさが判断を曇らせていないかを問う材料になります。
この章句が説くこと
慈愛厳しさ老い中庸自戒
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