言志四録 / 言志晩録 第二百八十三条 人と為りて終らん
前乎我者。千古萬古。後乎我者。千世萬世。假令我保壽百年。亦一呼吸閒耳。今幸生爲人。庶幾成爲人而終。斯已矣。本願在此。
新字:前乎我者。千古万古。後乎我者。千世万世。仮令我保寿百年。亦一呼吸閒耳。今幸生為人。庶幾成為人而終。斯已矣。本願在此。
書き下し
我に前つ者は、千古万古、我に後るる者は、千世万世。仮令我寿を百年に保つとも、亦一呼吸の間のみ。今幸ひに生れて人と為る。庶幾はくは成りて人と為りて終らん。斯れのみ。本願此に在り。
現代語訳
自分より前には千古万古の時があり、自分より後には千世万世の時がある。たとえ自分が百年の寿命を保ったとしても、それはひと呼吸の間にすぎない。今、幸いにも人として生まれた。願わくは、人として成るべきものに成って一生を終えたい。ただそれだけである。私の本願はここにある。
解説
果てしない過去と未来の間に置けば、百年の生もひと呼吸にすぎない。そう見定めたうえで一斎は、せっかく人として生まれたのだから、人として成り終えて死にたい、それだけが本願だと述べます。「人と為る」とは、単に生きるのではなく、人としてあるべき姿を完成させることです。仏教の言葉である「本願」をあえて用い、儒者としての生涯の願いを言い表している点が印象的です。この条から晩録は死生を論じる条が続き、一斎の死生観がまとまって示されます。成果や地位よりも、自分がどういう人間として一生を終えたいのかを問うこの言葉は、仕事の意味を見つめ直す根っこの問いにもなります。
この章句が説くこと
死生観本願人と為る無常生き方
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