言志四録 / 言志晩録 第二百四十一条 聖賢の貧楽は此の類に非ず
衣薄不著寒相。食貧無見餒色。唯氣充者爲能。而聖賢貧樂。則非此之類。
新字:衣薄不著寒相。食貧無見餒色。唯気充者為能。而聖賢貧楽。則非此之類。
書き下し
衣薄くして寒相を著さず、食貧しくして餒色を見す無し。唯だ気充つる者のみ能くすと為す。而して聖賢の貧楽は、則ち此の類に非ず。
現代語訳
衣服が薄くても寒そうな様子を見せず、食事が乏しくても飢えた顔色を見せない。これはただ気力の充実した者だけができることである。しかし聖人や賢人が貧しさの中で楽しむのは、こうした類のものではない。
解説
貧しさに耐えて平然としていることと、貧しさの中で楽しむこととを区別した一条です。寒さや空腹を顔に出さずにいられるのは、気力の充実した人の強さです。しかし『論語』に描かれる、一椀の飯と一杯の水の暮らしでもその楽しみを改めなかった顔回や、粗末な食事でも「楽しみ亦其の中に在り」と言った孔子の楽しみは、それとは違うと一斎は言います。前者は苦しみを気力で押さえ込む我慢であり、後者は道を楽しむ心が貧富を超えている状態です。やせ我慢と本当の充足とは、外から見ると似ていても中身がまるで違います。厳しい状況に耐えることは大切ですが、耐えるだけでなく、そこに意味や楽しみを見いだせているかを問う視点を与えてくれます。
この章句が説くこと
安貧楽道気力忍耐楽しみ顔回
関連する章句
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徒然草・第129段顔囘は、志人に労を施さじとなり。すべて人を苦しめ、物を虐ぐる事、賎しき民の志をも奪ふべからず。又幼き子を賺し嚇し、言ひ辱しめて興ずることあり。大人しき人は、まことならねば事にもあらず思へど、幼き心には、身にしみて恐ろしく、恥しく、あさましき思ひ、誠に切なるべし。これを悩して興ずる事、慈悲の心にあらず。大人しき人の、喜び怒り哀れび楽しぶも、皆虚妄なれども、誰か実有の相に著せざる。身を破るよりも、心を痛ましむるは、人を害ふ事なほ甚だし。病を受くる事も、多くは心より受く。外より来る病は少なし。薬を飮みて汗を求むるには、験なき事あれども、一旦恥ぢ恐るゝことあれば、かならず汗を流すは、心のしわざなりといふことを知るべし。凌雲の額を書きて、白頭の人となりし例なきにあらず。
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史記 仲尼弟子列伝顔回は、魯の人なり、字は子淵。孔子より少きこと三十歳。顔淵、仁を問ふ。孔子曰く、「己に克ち礼に復る、天下仁に帰す」と。孔子曰く、「賢なるかな回や、一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り、人は其の憂ひに堪へず、回や其の楽しみを改めず。回や愚なるが如し、退きて其の私を省みれば、亦た以て発するに足る、回や愚ならず。之を用ふれば則ち行ひ、之を捨つれば則ち蔵る、唯我と爾とのみ是れ有るかな」と。回、年二十九、髪尽く白くして蚤く死す。孔子之を哭して慟し、曰く、「吾に回有りて自り、門人益々親しむ」と。魯の哀公問ふ、「弟子は孰をか学を好むと為すか」と。孔子対へて曰く、「顔回なる者有り、学を好み、怒りを遷さず、過ちを貮たびせず。不幸短命にして死せり。今や則ち亡し」と。
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論語・雍也篇哀公問う、弟子孰か学を好むと為す。孔子対えて曰く、顔回という者あり、学を好む。怒りを遷さず、過ちを二たびせず。不幸短命にして死せり。今は則ち亡し、未だ学を好む者を聞かざるなり。
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論語・雍也篇子曰く、『回や、その心三月仁に違わず。其の余は則ち日月至るのみ。』
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中庸子曰く、「回(かい)の人と為(な)りや、中庸を択び、一善を得れば、則ち拳拳(けんけん)服膺(ふくよう)して之を失わず」と。
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説苑・辨物孔子晨(あした)に堂上に立ち、哭する者の声音甚だ悲しきを聞く。孔子琴を援(と)りて之を鼓す、其の音同じ。孔子出づるに、弟子吒(さ)する者有り。問う、「誰ぞや。」曰わく、「回なり。」孔子曰わく、「回何為(なんす)れぞ吒するや。」回曰わく、「今者哭する者有り、其の音甚だ悲し。独り死を哭するのみに非ず、又生きて離るる者を哭するなり。」孔子曰わく、「何を以て之を知るや。」回曰わく、「完山の鳥に似たり。」孔子曰わく、「何如(いかん)。」回曰わく、「完山の鳥四子を生み、羽翼已に成りて乃ち四海に離る。哀鳴して之を送るは、是れ往きて復た返らざればなり。」孔子人をして哭する者に問わしむ。哭する者曰わく、「父死して家貧しく、子を売りて以て之を葬らんとす、将に其れ与に別れんとするなり。」孔子曰わく、「善いかな、聖人なり。」
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