言志四録 / 言志後録 第百六十八条 人の言を受くる者と語る
能受人言者。而後可與一言。與不受人言者言。不翅失言。秖以招尤。無益也。
新字:能受人言者。而後可与一言。与不受人言者言。不翅失言。秖以招尤。無益也。
書き下し
能く人の言を受くる者にして、而る後に与に一言すべし。人の言を受けざる者と言ふは、翅だに言を失ふのみならず、秖だ以て尤めを招くのみ、益無きなり。
現代語訳
人の言葉をよく受け入れる者であってはじめて、ともに一言を交わす値打ちがある。人の言葉を受け入れない者と語るのは、言葉を無駄にするばかりでなく、ただ咎めを招くだけで、何の益もない。
解説
『論語』衛霊公篇の「与に言ふべからずして之と言へば、言を失ふ」を踏まえた一条です。忠告や意見は、聞く耳のある相手に向けてこそ意味を持つ。聞き入れる気のない相手に言葉を費やしても、言葉が無駄になるだけでなく、かえって反感を買い、身に咎めを招くと一斎は言います。冷たいようですが、言うべき相手と時を選ぶことも、言葉を大切にするということでしょう。前の条で、君主に諫める臣が必要だと説いたことの裏側として、諫言を受け入れる側の器も問われていると読めます。自分は周りから率直な意見を言ってもらえる相手になっているか、振り返る材料にもなります。
この章句が説くこと
言葉忠告聞く力失言人間関係
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