言志四録 / 言志晩録 第二百二十四条 名に拘はりて実を失ふ勿れ
凡事勿嫌似而誤眞。勿拘名而失實。勿執偏而害全。
新字:凡事勿嫌似而誤真。勿拘名而失実。勿執偏而害全。
書き下し
凡そ事は、似たるを嫌ひて真を誤ること勿れ。名に拘はりて実を失ふこと勿れ。偏を執りて全を害すること勿れ。
現代語訳
およそ物事においては、似ているものを嫌うあまり本物まで取り違えてはならない。名目にこだわって実質を失ってはならない。一方に偏った見方に固執して、全体を損なってはならない。
解説
物事を判断するときに陥りやすい三つの誤りを並べた一条です。第一は、偽物に似ているからといって本物まで退けること。第二は、名目や看板にこだわって中身を見失うこと。第三は、一面的な見方に固執して全体を損なうこと。一斎は朱子学を奉じる昌平坂学問所の儒官でありながら、陽明学にも深く通じ、「陽朱陰王」と評されました。陽明学は禅に似ているとして排斥されがちでしたが、一斎は似ていることを理由に真理を捨てる態度を戒めていたのでしょう。次の条で仏教語の「覚悟」を儒者も使ってよいと論じるのも、この考えの延長です。肩書やレッテルで人や案を判断していないか、自分の判断の癖を点検する手がかりになります。
この章句が説くこと
判断名と実偏見本質全体観
関連する章句
-
老子・第16章虚を致すこと極まり、静を守ること篤し。万物並び作るも、吾は以て復るを観る。夫れ物は芸芸たるも、各々其の根に復帰す。根に帰るを静と曰い、是を命に復ると謂う。命に復るを常と曰い、常を知るを明と曰う。常を知らざれば、妄りに作して凶なり。常を知れば容れ、容るれば乃ち公、公なれば乃ち王、王なれば乃ち天、天なれば乃ち道、道なれば乃ち久し。身を没するまで殆うからず。
-
老子・第14章之を視れども見えず、名づけて夷と曰う。之を聴けども聞こえず、名づけて希と曰う。之を搏てども得ず、名づけて微と曰う。此の三者は詰を致すべからず、故に混じて一と為る。其の上は皦らかならず、其の下は昧からず。縄縄として名づくべからず、無物に復帰す。是を無状の状、無物の象と謂い、是を惚恍と謂う。之を迎うれども其の首を見ず、之に随えども其の後を見ず。古の道を執りて、以て今の有を御す。能く古始を知る、是を道紀と謂う。
-
『鬼谷子』謀篇故に先王の道は隂なり。言に之れ有りて曰く、天地の化は、高きと深きとに在り。聖人の道を制するは、隱と匿とに在り。獨り忠信仁義のみに非ざるなり、中正のみ、と。道理此の義に逹すれば、則ち與に語るべし。此を得ること能うに由れば、則ち與に逺近の誘を穀すべし。
-
言志四録・言志晩録 第十六条 真の是非は自ら覔む人皆、是非の窠中に在りて日を送る。然れども多くは是れ日間の瑣事にして、利害得失の数件に過ぎず。真の是非の如きは、則ち人の討ね出し来る無し。学者は須らく能く自ら覔むべし。
-
『鬼谷子』権篇是の故に智者と言うには、此を將て以て之を明らかにし、不智者と言うには、此を將て以て之を教う。而して甚だ爲し難きなり。故に言に類多く、事に變多し。故に終日言いて、其の類を失わざれば、故に事亂れず。終日變ぜずして、其の主を失わざれば、故に智は妄ならざるを貴ぶ。聽くは聰きを貴び、智は明らかなるを貴び、辭は竒なるを貴ぶ。
-
孫子・地形篇卒を視ること嬰児の如し、故に之と深谿に赴くべし。卒を視ること愛子の如し、故に之と俱に死すべし。厚くして使う能わず、愛して令する能わず、乱れて治むる能わざれば、譬えば驕子の若く、用うべからざるなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る