言志四録 / 言志晩録 第二百十二条 言を察して色を観る
察言而觀色。慮以下人。涉世法不出此二句。
新字:察言而観色。慮以下人。渉世法不出此二句。
書き下し
言を察して色を観、慮りて以て人に下る。世を渉るの法は、此の二句を出でず。
現代語訳
相手の言葉をよく察し、顔色をよく観る。よく考えたうえで人にへりくだる。世の中を渡っていく方法は、この二句から外れるものではない。
解説
二句は『論語』顔淵篇で、孔子が「達」、つまり真に道が通じている人の姿を説いた言葉から取られています。相手の言葉の奥にある意図を汲み、表情から心の動きを読み取ること。そして熟慮したうえで、自分を人の下に置くこと。一斎は、処世の要はこの二つに尽きると言い切ります。ここでいう「察」「観」は、相手の顔色をうかがって迎合することではなく、相手を正確に理解しようとする注意深さです。また「下る」も卑屈さではなく、慮りの結果として選ぶ謙虚さです。理解と謙譲がそろってはじめて、人と事はうまく通じます。交渉や部下との面談で、自分が話す前にどれだけ相手を観ているかを振り返る材料になる一条です。
この章句が説くこと
処世観察謙譲人を見る目論語
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