言志四録 / 言志晩録 第二百八条 儒者は自得無し
武人多是胸次明快。文儒卻闇弱。禪僧或有自得。儒者無自得。竝可愧。
新字:武人多是胸次明快。文儒却闇弱。禅僧或有自得。儒者無自得。並可愧。
書き下し
武人は多く是れ胸次明快なり。文儒は却つて闇弱なり。禅僧は或いは自得有り。儒者は自得無し。並びに愧づべし。
現代語訳
武人の多くは胸の内がさっぱりとして明快である。学者はかえって暗く弱々しい。禅僧にはときに自ら体得したものがある。儒者には自ら体得したものがない。どちらも恥ずべきことである。
解説
一斎が自分の属する儒者の側を厳しく省みた条です。武士は多く心がさっぱりとして決断が明快なのに、書物を扱う学者はかえって判断が暗く気力が弱い。禅僧には修行によって自ら体得した境地を持つ人がいるのに、儒者は知識ばかりで自得がない。一斎はこの二点をともに恥ずべきだと言います。前条で禅僧や老農の言葉に学べと述べたのと同じく、実地の裏付けを欠いた学問への反省です。一斎は昌平坂学問所の儒官として学問の頂点にいながら、知ることと体得することの隔たりを痛感していました。知識や資格を多く持つ人ほど、それが決断力や自分の言葉として身についているかを問う必要がありそうです。
この章句が説くこと
自得決断知行学問の反省胸次
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