言志四録 / 言志晩録 第百九十五条 触忤は怨を取るの道
人有取爲觸忤者。不但失德。而取怨之道的在此。可戒之至。
新字:人有取為触忤者。不但失徳。而取怨之道的在此。可戒之至。
書き下し
人、取りて触忤を為す者有り。但だに徳を失ふのみならず、而して怨を取るの道、的に此に在り。戒むべきの至りなり。
現代語訳
わざわざ人の気に障ることをして逆らう者がいる。それは徳を失うだけでなく、人の恨みを買う原因は、まさにここにある。大いに戒めるべきことである。
解説
わざわざ人の感情を逆なでする振る舞いを戒めた条です。「触忤」は相手に突き当たり逆らうことで、必要な直言や諫言とは異なり、相手の気に障ることを好んでする態度を指します。一斎は、それが自分の徳を損なうばかりでなく、人から恨まれる原因は的確にここにあると言い切ります。「的に」という語に、経験から来る確信がうかがえます。前後の条では、人を侮り笑うことや悪い話を楽しむことの害が続けて説かれ、晩録ではこうした交際の心得が集中して語られます。議論の場で相手をやり込めることに快を覚えたり、余計な一言で関係をこじらせたりすることはないか。主張の中身と言い方を分けて考えるきっかけになる言葉です。
この章句が説くこと
言動怨み人間関係慎み徳
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