文武訓 / 文訓下
一すこし才ありと見えて、物書き藝ある人も、其心平實にして、わが才をかくしてほこらざる人は、おくゆかしくうるはしと見ゆ。多才なる人も、わが才をほかにかゞやかして誇る人は、多くは人をそしる。おのれにほこり人をそしるは、其不德なるくせのほどあらはれてあさまし。かゝらざりせばよからましと思ひて、あたら才學あるも、玉の盃の底なきが如く思ひくだされて、其きずうらめし。
新字:一すこし才ありと見えて、物書き芸ある人も、其心平実にして、わが才をかくしてほこらざる人は、おくゆかしくうるはしと見ゆ。多才なる人も、わが才をほかにかゞやかして誇る人は、多くは人をそしる。おのれにほこり人をそしるは、其不徳なるくせのほどあらはれてあさまし。かゝらざりせばよからましと思ひて、あたら才学あるも、玉の盃の底なきが如く思ひくだされて、其きずうらめし。
書き下し
一すこし才ありと見えて、物書き芸ある人も、其心平実にして、わが才をかくしてほこらざる人は、おくゆかしくうるはしと見ゆ。多才なる人も、わが才をほかにかがやかして誇る人は、多くは人をそしる。おのれにほこり人をそしるは、其不徳なるくせのほどあらはれてあさまし。かからざりせばよからましと思ひて、あたら才学あるも、玉の盃の底なきが如く思ひくだされて、其きずうらめし。
現代語訳
少し才があるように見えて、ものを書き芸のある人でも、その心が平らかで誠実で、自分の才を隠して誇らない人は、奥ゆかしく立派に見えます。多才な人でも、自分の才を外に輝かせて誇る人は、多くは人をそしります。自分を誇り人をそしるのは、その不徳な癖のほどがあらわれて浅ましいものです。そうでなければよかったのにと思われ、せっかく才学があっても、底のない玉の盃のように見下されて、その傷が残念です。
解説
この章句が説くこと
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