言志四録 / 言志晩録 第百八十六条 物我一体は感応の上に認む
物我之爲一體。須就感應上認之。有淺深。有厚薄。自不可誣。不可不察。
新字:物我之為一体。須就感応上認之。有浅深。有厚薄。自不可誣。不可不察。
書き下し
物我の一体たるは、須らく感応の上に就きて之を認むべし。浅深有り、厚薄有り、自ら誣ふべからず。察せざるべからず。
現代語訳
他者と自分が一体であるということは、互いに感じ応じ合う働きの上で認めなければならない。そこには浅い深い、厚い薄いの違いがあり、それは偽りようがない。よく見極めなければならない。
解説
「物我一体」は、程顥の「仁者は天地万物を以て一体と為す」や王陽明の『大学問』に通じる宋明儒学の重要な考えです。ただ、それを頭の中の理屈として唱えても意味はありません。一斎は、一体であることは実際に心が感じ、相手が応じるという「感応」の場で確かめよと言います。そして感応には浅深や厚薄の差があり、それはごまかしようがない。親しい人とそうでない人、身近な物と遠い物とでは、響き合い方が違うのが自然です。一体を説きつつ差等も認める、儒学の穏当な感覚が表れています。部下や顧客との関係も、理念として掲げるより、実際にどれほど通じ合っているかを冷静に見ることから始まるのかもしれません。
この章句が説くこと
物我一体感応仁共感人間関係
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