五常訓 / 巻之三・仁之下
しかるに唯人に忍びざるの心ありと宣へるは、萬物皆わが一體にして愛すべけれど、中について、人においては同胞なれば、其あはれみ尤せつなる故に、とりわき人に忍びざるの心ありとのたまふ。人の憂苦を見ながら、何とも思はで忍ぶは、心つよき人といふべし。其心つよきといふは、卽人に忍ぶる心なり。是不仁の別名なり。
新字:しかるに唯人に忍びざるの心ありと宣へるは、万物皆わが一体にして愛すべけれど、中について、人においては同胞なれば、其あはれみ尤せつなる故に、とりわき人に忍びざるの心ありとのたまふ。人の憂苦を見ながら、何とも思はで忍ぶは、心つよき人といふべし。其心つよきといふは、即人に忍ぶる心なり。是不仁の別名なり。
書き下し
しかるに唯人に忍びざるの心ありと宣へるは、万物皆わが一体にして愛すべけれど、中について、人においては同胞なれば、其あはれみ尤せつなる故に、とりわき人に忍びざるの心ありとのたまふ。人の憂苦を見ながら、何とも思はで忍ぶは、心つよき人といふべし。其心つよきといふは、即人に忍ぶる心なり。是不仁の別名なり。
現代語訳
それなのに、ただ「人に忍びない心がある」とおっしゃったのは、万物はみな自分と一体であって愛すべきですが、その中でも、人については同胞なので、そのあわれみが最も切実であるから、とりわけ人に忍びない心があるとおっしゃったのです。人の憂いや苦しみを見ながら、何とも思わずに平気でいるのは、心の強い人というべきです。その心が強いというのは、すなわち人に忍ぶ心です。これは不仁の別名です。
解説
孟子が万物ではなく特に「人に」忍びざる心と言ったのは、人は同胞であり、そのあわれみが最も切実だからだと説明しています。そのうえで、人の苦しみを見ても平気でいる「心つよき人」は、不仁の別名だと言い切ります。当時は動じない心の強さが武士の美徳とされることもありましたが、益軒は他者の痛みに無感覚な強さを否定しました。冷静さと冷淡さを取り違えないことは、リーダーや医療・福祉の仕事に携わる人にとって特に大切な心構えです。
この章句が説くこと
不仁仁同胞孟子共感
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