言志四録 / 言志晩録 第百七十条 口を以て己の行を誘ふ勿れ
勿以口而誘己行。勿以耳而聞人言。
書き下し
口を以て己の行を誘ふこと勿れ。耳を以て人の言を聞くこと勿れ。
現代語訳
口先の言葉で自分の行いを後から引っぱろうとしてはならない。耳だけで人の言葉を聞いてはならない。
解説
わずか十五字の短い条ですが、言葉と行いの順序、聞くことの深さを突いています。前半は、先に大きなことを言って、その言葉に引きずられるようにして行動しようとするな、という戒めです。『論語』の「先づ其の言を行ひ、而る後に之に従ふ」と同じく、行いが言葉に先立つべきだという考えです。後半は、人の言葉を耳で音として受け取るだけでなく、心で受け止めよという意味に読めます。前後の条で一斎は、自分の言動を自ら聞き視よ、視聴を慎め、と繰り返しており、口と耳という身近な器官を通して心のあり方を問うています。宣言先行の目標設定や、聞き流しの会議が多い職場で、口と耳の使い方を見直すきっかけになる言葉です。
この章句が説くこと
言行一致傾聴実行心で聞く
関連する章句
-
『後世への最大遺物』第二回・己の信ずることを実行する者己の信ずることを実行するものが真面目なる信者です。ただただ壮言大語することは誰にもできます。いくら神学を研究しても、いくら哲学書を読みても、われわれの信じた主義を真面目に実行するところの精神がありませぬあいだは、神はわれわれにとって異邦人であります。それゆえに、われわれは神がわれわれに知らしたことをそのまま実行いたさなければなりません。こういたさねばならぬと思うたことは、われわれはことごとく実行しなければならない。もしわれわれが、正義はついに勝つものにして不義はついに負けるものであるということを世間に発表するものであるならば、そのとおりにわれわれは実行しなければならない。これを称して真面目なる信徒と申すのです。
-
『墨子』兼愛下兼士の言は然らず、行いも亦た然らず。曰く、「吾れ聞く、天下に髙士為る者は、必ず其の友の身を為むること其の身を為むるが若くし、其の友の親を為むること其の親を為むるが若くして、然る後に以て天下に髙士為る可し」と。是の故に退きて其の友を睹るに、饑うれば則ち之に食わしめ、寒ければ則ち之に衣せしめ、疾病あれば之を侍養し、死喪あれば之を葬埋す。兼士の言は此くの若く、行いも此くの若し。若の二者は、言、相い非として行い相い反するか。常に若の二士をして、言は必ず信、行いは必ず果ならしめ、言行の合すること、猶お符節を合するがごとくならしめば、言いて行わざる無きなり。
-
『塩鉄論』相刺篇大夫曰く、所謂文學の高第なる者は、智略は能く先王の術を明らかにし、姿質は以て其の道を履行するに足る。故に居れば則ち人の師と為り、用いらるれば則ち世の法と為る。今文學は治を言えば則ち堯・舜を稱し、道行を言えば則ち孔・墨を言う、之に政を授くれば則ち達せず、古道を懷きて行う能わず、言は直にして行いは枉がり、道は是にして情は非なり、衣冠は以て鄉曲に殊なる有るも、實は以て凡人に異なる無し。諸生の所謂中直なる者は、時に遭い幸を蒙り、數に備わりて適々然るのみ、殆ど明舉の謂う所に非ず、固より未だ與に治を論ずべからざるなり。
-
『正法眼蔵随聞記』巻三作すことの難きにはあらず、能くすることの難きなり、出離得道の行は人ごとに心にかけたるには似たれとも、能くする人まれなればなり、生死事大なり、無常迅速なり、心を緩くすることなかれ、世を捨ては実とに世を捨つべきなり、仮名はいかにてもありなんとおぼゆるなり、
-
論語・公冶長篇子路聞くこと有りて、未だ之を行うこと能わざれば、唯だ聞くこと有らんことを恐る。
-
論語・子罕篇子曰く、之に語げて惰らざる者は、其れ回なるか。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る