言志四録 / 言志晩録 第百二十四条 王荊公の失敗
王荆公本意。在堯舜其君。而其所爲皆在功利。則群宵希旨。競以利進。遂一敗不能保終。究亦自取。可惜。後之爲輔相者所宜鑑。
新字:王荆公本意。在堯舜其君。而其所為皆在功利。則群宵希旨。競以利進。遂一敗不能保終。究亦自取。可惜。後之為輔相者所宜鑑。
書き下し
王荊公の本意は、其の君を堯舜にするに在り。而るに其の為す所は皆功利に在り。則ち群宵旨を希ひ、競ひて利を以て進む。遂に一敗して終りを保つ能はず。究むれば亦自ら取るなり。惜しむべし。後の輔相たる者の宜しく鑑むべき所なり。
現代語訳
王荊公(北宋の宰相、王安石)の本意は、自分の君主を堯・舜のような聖天子にすることにあった。ところが彼の行ったことはみな功利を目指すものであった。そのため小人たちが彼の意向に迎合し、競って利によって出世しようとした。ついに一度の失敗で最後まで地位を保つことができなかった。突き詰めれば、これもまた自ら招いたことである。惜しいことだ。後に君主を補佐する宰相となる者が、戒めとすべきところである。
解説
北宋の改革者王安石(荊国公に封じられたので王荊公)を論じた条です。王安石は神宗に仕え、青苗法などの新法で財政と軍事の立て直しを図りました。一斎は、君を堯舜のような聖王にしたいという志そのものは認めます。しかし手段がすべて功利、つまり利益と成果に偏っていたため、その意向を読んで利で出世しようとする小人が群がり、改革は挫折したと見ます。志が高くても、利で人を動かせば、利で動く人しか集まらない。前条の、長期の事業は終始を熟図せよという教えとも響き合います。改革を進める立場の人にとって、何を旗印に人を動かすかが、どんな人が集まるかを決めるという示唆に富む一条です。
この章句が説くこと
功利改革輔相人材王安石
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