言志四録 / 言志晩録 第百十七条 旧法を確守す
我邦獨立。不仰異域。海外人皆知之。不如確守舊法之爲善。功利人好事。不可濫聽。
新字:我邦独立。不仰異域。海外人皆知之。不如確守旧法之為善。功利人好事。不可濫聴。
書き下し
我が邦は独立して、異域を仰がず。海外の人皆之を知る。旧法を確守するの善と為すに如かず。功利の人は事を好む。濫りに聴くべからず。
現代語訳
わが国は独立していて、外国に頼ることがない。海外の人々もみなそれを知っている。古くからの法を確かに守ることを最善とするに及ぶものはない。功利を追う人は事を起こすのを好む。むやみにその言うことを聞き入れてはならない。
解説
日本は独立して外国に依存しておらず、海外もそれを知っている、だから旧来の法を固く守るのが最善だという条です。ここでいう旧法は、鎖国を含む幕府の祖法を指すと考えられます。そして功利を求める人は新しい事を起こしたがるから、その意見を濫りに聞いてはならないと戒めます。開国を迫る圧力が強まる前夜の保守的な見解で、今日から見れば時代の限界もあります。ただ、功名や利益を求める人が改革を唱えるとき、その動機を見極めよという指摘には普遍性があります。変えること自体が目的になっていないか。新しい提案を受けるとき、その背後の動機と、守るべきものの価値の両方を考える材料になります。
この章句が説くこと
旧法独立保守功利変革
関連する章句
-
『武士道』第十四章 婦人の教育と地位・変革は反抗を俟たずして来る羅馬人の母が奉家の徳を失つてより、其国道徳の頽廃、言語に絶するに至りたるに非らずや。彼の米国改革家は、吾人に示すに、果して日本女子の反抗は即ち其由るべき歴史的発達の正路なるを以てするを得べきか。此等は看過すべからざる大問題なり。抑も変革は反抗を俟たずして来るべく、又た来らずんばあるべからず。而して武士道制度の下に於ける婦人の地位の低卑なる、実に反抗を要するものなりしか。吾人は今しばらくここに之を見るあらんとす。欧洲武士の『神と淑女』に奉ずるに、面従的尊敬を以てしたるを聞くや久し。されど此二語の氷炭相容れざるは、ギボンの赧顔する所にして、又たハラムは、シヴァリーの道徳は鄙陋なり、女子に対する慇懃は不義の愛を含みたりと歎ぜり。
-
『春秋左氏伝』昭公元年 魏舒、車を毀つ鄭游楚の亂の故を為(もっ)て、六月、丁巳、鄭伯其の大夫と公孫段氏に盟ふ。罕虎・公孫僑・公孫段・印段・游吉・駟帶、閨門の外に私盟す、實に薰隧なり。公孫黑強ひて盟に與り、大史をして其の名を書かしめ、且つ七子と曰はしむ。子產討ぜず。晉の中行穆子、無終及び群狄を大原に敗る、卒を崇べばなり。將に戰はんとするに、魏舒曰く、「彼は徒、我は車、遇ふ所又阨(せま)し。什を以って車に共へば、必ず克たん。諸を阨に困しめば、又克たん。請ふ皆卒とせん、我より始めん」と。乃ち車を毀ちて以って行と為し、五乘を三伍と為す。荀吳の嬖人卒に即くを肯ぜず、斬りて以って徇(とな)ふ。五陳を為して以って相離れ、兩は前に於いてし、伍は後に於いてし、專は右角と為り、參は左角と為り、偏は前拒と為り、以って之を誘ふ。翟人之を笑ふ。未だ陳せざるに之に薄(せま)り、大いに之を敗る。莒の展輿立ちて、群公子の秩を奪ふ。公子去疾を齊より召す。秋、齊の公子鉏去疾を納れ、展輿吳に奔る。叔弓師を帥ゐて鄆の田を疆(さかひ)す、莒の亂に因るなり。是に於いて莒の務婁・瞀胡及び公子滅明、大厖と常儀靡とを以って齊に奔る。君子曰く、「莒展の立たざるは、人を棄つればなるかな。人棄つ可けんや。詩に曰く、『競(つよ)きこと維れ人より無し』と。善し」と。
-
易経・彖伝革(かく)は、水火相い息(け)し、二女同居して、其の志相い得ざるを革と曰う。「已日(いじつ)にして乃ち孚(まこと)とせらる」とは、革(あらた)めて之を信ずるなり。文明にして以て説(よろこ)び、大いに亨(とお)りて以て正し。革めて当たれば、其の悔い乃ち亡(な)し。天地革まりて四時(しじ)成り、湯武(とうぶ)命を革(あらた)むるは、天に順(したが)いて人に応ずるなり。革の時、大なるかな。
-
『韓非子』南面第十八然らば則ち古の変ずる無く、常の易ふる毋きは、常古の可と不可とに在り。伊尹殷を変ずる毋く、太公周を変ずる毋くんば、則ち湯・武は王たらざらん。
-
孫子・九地篇帥いて之と期するや、高きに登りて其の梯を去るが如し。帥いて之と深く諸侯の地に入りて、其の機を発すること、舟を焚き釜を破り、群羊を駆るが若し。駆りて往き、駆りて来たり、之く所を莫知らしむ。三軍の衆を聚めて、之を険に投ず。此を将軍の事と謂う。
-
史記 殷本紀中宗崩じ、子帝中丁立つ。帝中丁隞に遷り、河亶甲相に居り、祖乙邢に遷る。帝中丁崩じ、弟外壬立つ。是を帝外壬と為す。仲丁の書は闕けて具はらず。帝外壬崩じ、弟河亶甲立つ。是を帝河亶甲と為す。河亶甲の時、殷復た衰ふ。河亶甲崩じ、子帝祖乙立つ。帝祖乙立ちて、殷復た興る。巫賢職に任ず。祖乙崩じ、子帝祖辛立つ。帝祖辛崩じ、弟沃甲立つ。是を帝沃甲と為す。帝沃甲崩じ、沃甲の兄祖辛の子祖丁を立つ。是を帝祖丁と為す。帝祖丁崩じ、弟沃甲の子南庚を立つ。是を帝南庚と為す。帝南庚崩じ、帝祖丁の子陽甲を立つ。是を帝陽甲と為す。帝陽甲の時、殷衰ふ。中丁より以来、適を廃して更に諸弟の子を立て、弟の子或いは争ひて相代はりて立ち、比九世乱る。是に於て諸侯朝する莫し。帝陽甲崩じ、弟盤庚立つ。是を帝盤庚と為す。帝盤庚の時、殷已に河北に都す。盤庚河を渡りて南し、復た成湯の故居に居る。迺ち五たび遷りて、定処無し。殷の民咨胥皆怨み、徙るを欲せず。盤庚乃ち諸侯大臣に告諭して曰く、「昔高后成湯爾の先祖と倶に天下を定む。法則修む可し。舍てて勉めずんば、何を以て徳を成さん」と。乃ち遂に河を渉りて南し、亳を治め、湯の政を行ふ。然る後に百姓由りて寧く、殷の道復た興る。諸侯来朝す、其の成湯の徳に遵ふを以てなり。帝盤庚崩じ、弟小辛立つ。是を帝小辛と為す。帝小辛立ちて、殷復た衰ふ。百姓盤庚を思ひ、迺ち盤庚三篇を作る。帝小辛崩じ、弟小乙立つ。是を帝小乙と為す。帝小乙崩じ、子帝武丁立つ。帝武丁即位し、殷を復興せんことを思ふも、未だ其の佐を得ず。三年言はず、政事は冢宰に決定し、以て国風を観る。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る