言志四録 / 言志晩録 第百十五条 士気を振起するは率先に在り
士氣不振。則防禦不固。防禦不固。則民心亦不能固。然其振起士氣。在人主之自奮以爲率先。無復別法可設。
新字:士気不振。則防禦不固。防禦不固。則民心亦不能固。然其振起士気。在人主之自奮以為率先。無復別法可設。
書き下し
士気振はざれば、則ち防禦固からず。防禦固からざれば、則ち民心も亦固き能はず。然して其の士気を振起するは、人主の自ら奮ひて以て率先を為すに在り。復た別法の設くべき無し。
現代語訳
武士の気概が奮い立たなければ、防御は固まらない。防御が固まらなければ、民の心もまた固まることはできない。そして士気を奮い立たせるには、君主が自ら奮起して先頭に立つほかない。ほかに設けるべき方法はない。
解説
前条で民心の結束が最上の守りだと述べた一斎は、ここでその連鎖をさかのぼります。士気が振るわなければ防御が固まらず、防御が固まらなければ民心も固まらない。では士気をどう奮い立たせるか。答えは明快で、上に立つ者が自ら奮起して率先すること以外に方法はないと言い切ります。「復た別法の設くべき無し」という断定に、制度や号令で士気を高めようとする風潮への批判がうかがえます。『論語』の「其の身正しければ、令せずして行はる」にも通じる考えです。部下の意欲が低いと嘆く前に、上に立つ自分がどれだけ本気で先頭に立っているか。リーダーが自らに向ける問いとして重みのある一条です。
この章句が説くこと
士気率先垂範リーダーシップ民心為政
関連する章句
-
『韓非子』難二第三十七簡子抱を投げて曰く、「烏乎、吾の士數弊す。」燭過冑を免ぎて對えて曰く、「亦た君の能わざる有るのみ。士弊れたる者無し。」
-
六韜・励軍武王 太公に問ひて曰く、「吾 三軍の衆をして、城を攻むれば先登を争ひ、野戦すれば先赴を争ひ、金の声を聞きて怒り、鼓の声を聞きて喜ばしめんと欲す。之を為すこと奈何」と。太公曰く、「将に三あり」と。武王曰く、「敢へて其の目を問はん」と。太公曰く、「将 冬に裘を服ず、夏に扇を操らず、雨に蓋を張らず、名づけて礼将と曰ふ。将 身づから礼を服せざれば、以て士卒の寒暑を知る無し。隘塞を出で、泥塗を犯すには、将 必ず先づ下りて歩む、名づけて力将と曰ふ。将 身づから力を服せざれば、以て士卒の労苦を知る無し。軍 皆な次を定めて、将 乃ち舎に就く。炊ぐ者 皆な熟して、将 乃ち食に就く。軍 火を挙げざれば、将も亦た挙げず、名づけて止欲将と曰ふ。将 身づから止欲を服せざれば、以て士卒の飢飽を知る無し。将 士卒と寒暑・労苦・飢飽を共にす、故に三軍の衆、鼓の声を聞けば則ち喜び、金の声を聞けば則ち怒る。高城深池、矢石 繁く下るも、士は先登を争ふ。白刃 始めて合ふも、士は先赴を争ふ。士は死を好みて傷つくを楽しむに非ざるなり。其の将の寒暑・飢飽を知ること審らかにして、労苦を見ること明らかなるが為なり」と。
-
言志四録・言志晩録 別存 第二十六条 酒樽を破りて舟人に飲ましむ辛未の歳、韓人来聘す。旨有りて之を対州に館し、大小の官員を遣はして聘を受けしむ。公も亦焉に与る。公海を渡る時、酒数樽を貯へしむ。人其の故を知らず。既にして事訖り、纜を解きて帰に就く。時に風浪驟かに興り、風逆ひ、舟人極めて苦しむ。公乃ち自ら酒樽を倒し、鎗鐓を以て其の底を撞き破り、手自ら飯椀を以て之を斟み、舟人に飲ましむ。舟人是に於て気力一倍し、我が船独り先づ唐津に達す。他船は則ち後るること数十里なりと云ふ。
-
『春秋左氏伝』哀公二十七年 陳成子、鄭を救ふ二十七年春、越子、后庸をして來聘せしめ、且つ邾の田を言ひ、駘上に封ぜしむ。二月、平陽に盟ふ。三子皆從ふ。康子、之を病み、言、子贛に及びて曰く、「若し此に在らば、吾、此に及ばざりしならん」と。武伯曰く、「然らば何ぞ召さざる」と。曰く、「固より將に之を召さんとす」と。文子曰く、「他日請ふ念へ」と。夏四月己亥、季康子卒す。公、焉を弔ひ、禮を降す。晉の荀瑤、師を帥ゐて鄭を伐ち、桐丘に次す。鄭の駟弘、救ひを齊に請ふ。齊師將に興らんとす。陳子、孤子を屬め、三日朝せしむ。乘車兩馬を設け、五邑を焉に繫け、顏涿聚の子晉を召して曰く、「隰の役に、而の父、焉に死す。國の多難なるを以て、未だ女を恤へざりき。今、君、女に命ずるに是の邑を以てす。服車して朝し、前勞を廢すること毋かれ」と。乃ち鄭を救ふ。留舒に及ぶ。穀を違ること七里、穀人知らず。濮に及ぶ。雨ふりて涉らず。子思曰く、「大國、敝邑の宇下に在り。是を以て急を告ぐ。今、師行かずんば、及ぶ無からんことを恐る」と。成子、製を衣て戈を杖つき、阪上に立ち、馬の出でざる者は、之を助けて之に鞭うつ。知伯之を聞き、乃ち還りて曰く、「我、鄭を伐つことを卜せしも、
-
呂氏春秋・貴直④趙簡子、衛の附郭を攻むるに、自ら兵を將う。戰うに及びて、且に遠くに立たんとし、又犀蔽屏櫓の下に居る、之に鼓すれども士起たず。簡子、桴を投じて歎じて曰く、「鳴呼、士の遬弊すること一に此の若きか。」行人燭過、冑を免き戈を横たえて進みて曰く、「亦君の不能有るのみ。士何の弊することか之れ有らん。」簡子艴然として色を作して曰く、「寡人の使う無くして、身自ら是の衆を将いるや、子親しく寡人の無能を謂う。說有らば則ち可なるも、說無くんば則ち死せん。」對えて曰く、「昔吾が先君獻公は位に即きて五年、國を兼ぬること十九、此の士を用いたるなり。惠公は位に即きて二年、淫色暴慢にして、身は玉女を好む。秦人我を襲い、絳を遜去すること七十、此の士を用いたるなり。文公位に即きて二年、之を底すに勇を以てす。故に三年にして士盡く果敢なり。城濮の戰い、五たび荊人を敗り、衛を圍み曹を取り、石社を抜き、天子の位を定め、尊名を天下に成す。此の士を用いたるなり。亦だ君の不能有るのみ。士何の弊することか之れ有らん。」簡子乃ち犀蔽屏櫓を去りて、矢石の及ぶ所に立ち、一鼓して士畢く之に乘ず。簡子曰く、「吾、革車千乘を得ん與りは、行人燭過の一言を聞くに如かず。」行人燭過は能く其の君を諫めたりと謂う可し。戰鬭の上、枹鼓方に用いらる。賞は厚きを加えず、罰は重きを加えざるに、一言にして士皆其の上の為に死するを樂しむ。
-
史記 田単列伝唯だ独り莒と即墨とのみ下らず。燕軍、斉王の莒に在るを聞き、兵を并せて之を攻む。淖歯既に湣王を莒に殺し、因りて堅く守り、燕軍を距ぐこと数年、下らず。燕、兵を引きて東して即墨を囲む。即墨の大夫出でて与に戦ひ、敗れて死す。城中相与に田単を推して曰く、「安平の戦に、田単の宗人は鉄籠を以て全きを得たり。兵に習ふ」と。立てて以て将軍と為し、即墨を以て燕を距がしむ。頃之して、燕の昭王卒し、恵王立つ。楽毅と隙有り。田単之を聞き、乃ち反間を燕に縦ちて、宣言して曰く、「斉王已に死し、城の抜けざる者は二つのみ。楽毅は誅を畏れて敢て帰らず、斉を伐つを以て名と為すも、実は兵を連ねて南面して斉に王たらんと欲す。斉人未だ附かず、故に且く即墨を攻むるを緩めて以て其の事を待つ。斉人の懼るる所は、唯だ他将の来たらんことを恐るるのみ。即墨残はれん」と。燕王以て然りと為し、騎劫をして楽毅に代らしむ。楽毅因りて趙に帰し、燕人の士卒忿る。而して田単乃ち城中の人をして食ふに必ず其の先祖を庭に祭らしむ。飛鳥悉く城中に翔舞して下りて食ふ。燕人之を怪しむ。田単因りて宣言して曰く、「神来り下りて我に教ふ」と。乃ち城中の人に令して曰く、「当に神人の我が師と為る有るべし」と。一卒有りて曰く、「臣以て師と為るべきか」と。因りて反り走る。田単乃ち起ち、引きて還し、東嚮して坐せしめ、之に師事す。卒曰く、「臣、君を欺けり。誠に能無きなり」と。田単曰く、「子言ふ勿かれ」と。因りて之を師とす。約束を出だす毎に、必ず神師と称す。乃ち宣言して曰く、「吾は唯だ燕軍の得る所の斉の卒を劓し、之を前行に置きて我と戦はんことを懼る。即墨敗れん」と。燕人之を聞き、其の言の如くす。城中の人、斉の諸の降る者の尽く劓せらるるを見て、皆怒り、堅く守り、唯だ得らるるを恐る。単又反間を縦ちて曰く、「吾は燕人の吾が城外の冢墓を掘り、先人を僇しめんことを懼る。寒心すべし」と。燕軍尽く壟墓を掘り、死人を焼く。即墨の人、城上より望み見て、皆涕泣し、倶に出でて戦はんと欲し、怒り自ら十倍す。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る