呂氏春秋 / 貴直④
趙簡子攻衛附郭,自將兵。及戰,且遠立,又居於犀蔽屏櫓之下,鼓之而士不起,簡子投桴而歎曰:「鳴呼!士之速弊一若此乎?」行人燭過免冑橫戈而進曰:「亦有君不能耳,士何弊之有?」簡子艴然作色曰:「寡人之無使,而身自將是眾也,子親謂寡人之無能,有說則可,無說則死。」對曰:「昔吾先君獻公即位五年,兼國十九,用此士也。惠公即位二年,淫色暴慢,身好玉女,秦人襲我,遜去絳七十,用此士也。文公即位二年,底之以勇,故三年而士盡果敢;城濮之戰,五敗荊人;圍衛取曹,拔石社;定天子之位,成尊名於天下;用此士也。亦有君不能耳,士何弊之有?」簡子乃去犀蔽屏櫓而立於矢石之所及,一鼓而士畢乘之。簡子曰:「與吾得革車千乘也,不如聞行人燭過之一言。」行人燭過可謂能諫其君矣,戰鬥之上,枹鼓方用,賞不加厚,罰不加重,一言而士皆樂為其上死。
新字:趙簡子攻衛附郭,自将兵。及戦,且遠立,又居於犀蔽屏櫓之下,鼓之而士不起,簡子投桴而嘆曰:「鳴呼!士之速弊一若此乎?」行人燭過免冑横戈而進曰:「亦有君不能耳,士何弊之有?」簡子艴然作色曰:「寡人之無使,而身自将是眾也,子親謂寡人之無能,有説則可,無説則死。」対曰:「昔吾先君献公即位五年,兼国十九,用此士也。恵公即位二年,淫色暴慢,身好玉女,秦人襲我,遜去絳七十,用此士也。文公即位二年,底之以勇,故三年而士尽果敢;城濮之戦,五敗荊人;囲衛取曹,抜石社;定天子之位,成尊名於天下;用此士也。亦有君不能耳,士何弊之有?」簡子乃去犀蔽屏櫓而立於矢石之所及,一鼓而士畢乗之。簡子曰:「与吾得革車千乗也,不如聞行人燭過之一言。」行人燭過可謂能諫其君矣,戦鬥之上,枹鼓方用,賞不加厚,罰不加重,一言而士皆楽為其上死。
書き下し
趙簡子、衛の附郭を攻むるに、自ら兵を將う。戰うに及びて、且に遠くに立たんとし、又犀蔽屏櫓の下に居る、之に鼓すれども士起たず。簡子、桴を投じて歎じて曰く、「鳴呼、士の遬弊すること一に此の若きか。」行人燭過、冑を免き戈を横たえて進みて曰く、「亦君の不能有るのみ。士何の弊することか之れ有らん。」簡子艴然として色を作して曰く、「寡人の使う無くして、身自ら是の衆を将いるや、子親しく寡人の無能を謂う。說有らば則ち可なるも、說無くんば則ち死せん。」對えて曰く、「昔吾が先君獻公は位に即きて五年、國を兼ぬること十九、此の士を用いたるなり。惠公は位に即きて二年、淫色暴慢にして、身は玉女を好む。秦人我を襲い、絳を遜去すること七十、此の士を用いたるなり。文公位に即きて二年、之を底すに勇を以てす。故に三年にして士盡く果敢なり。城濮の戰い、五たび荊人を敗り、衛を圍み曹を取り、石社を抜き、天子の位を定め、尊名を天下に成す。此の士を用いたるなり。亦だ君の不能有るのみ。士何の弊することか之れ有らん。」簡子乃ち犀蔽屏櫓を去りて、矢石の及ぶ所に立ち、一鼓して士畢く之に乘ず。簡子曰く、「吾、革車千乘を得ん與りは、行人燭過の一言を聞くに如かず。」行人燭過は能く其の君を諫めたりと謂う可し。戰鬭の上、枹鼓方に用いらる。賞は厚きを加えず、罰は重きを加えざるに、一言にして士皆其の上の為に死するを樂しむ。
現代語訳
趙簡子が衛の城郭に迫って攻めるとき、自ら軍を率いた。戦いになると、遠くに立とうとし、また盾ややぐらの陰に身を置いて、太鼓を打っても兵士は立ち上がらなかった。簡子はばちを投げ捨てて嘆いて言った。「ああ、兵士が疲れ果てるとは、これほどまでか。」外交官の燭過が兜を脱ぎ戈を横たえて進み出て言った。「ただ君に将としての能力が無いだけです。兵士に何の疲れがありましょう。」簡子は顔色を変えて怒り「私が将を使わず、自らこの兵を率いているのに、お前は面と向かって私を無能と言う。理由があればよいが、なければ死罪だ」と言った。燭過は答えた。「昔わが先君の献公は即位して五年で十九国を併合したが、この兵士を用いたのです。恵公は即位して二年、色に溺れ暴慢で、美女を好みました。秦人がわが国を襲い、絳の都を七十里退きましたが、この兵士を用いたのです。文公は即位して二年、勇をもって兵を鍛え、三年で兵士は皆果敢になりました。城濮の戦いで五度楚人を破り、衛を囲み曹を取り、石社を抜き、天子の位を定め、天下に尊名を成しました。この同じ兵士を用いたのです。ただ君に能力が無いだけで、兵士に何の疲れがありましょう。」簡子はそこで盾ややぐらを去って、矢や石の届く所に立ち、一度太鼓を打つと兵士は皆これに乗じて攻めた。簡子は「私は戦車千台を得るよりも、行人燭過の一言を聞くほうがよい」と言った。行人燭過はよく君主を諫めたと言える。戦いの場で太鼓がまさに用いられ、賞を厚くもせず罰を重くもしないのに、一言で兵士は皆その主君のために死ぬのを喜んだのだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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六韜・励軍武王 太公に問ひて曰く、「吾 三軍の衆をして、城を攻むれば先登を争ひ、野戦すれば先赴を争ひ、金の声を聞きて怒り、鼓の声を聞きて喜ばしめんと欲す。之を為すこと奈何」と。太公曰く、「将に三あり」と。武王曰く、「敢へて其の目を問はん」と。太公曰く、「将 冬に裘を服ず、夏に扇を操らず、雨に蓋を張らず、名づけて礼将と曰ふ。将 身づから礼を服せざれば、以て士卒の寒暑を知る無し。隘塞を出で、泥塗を犯すには、将 必ず先づ下りて歩む、名づけて力将と曰ふ。将 身づから力を服せざれば、以て士卒の労苦を知る無し。軍 皆な次を定めて、将 乃ち舎に就く。炊ぐ者 皆な熟して、将 乃ち食に就く。軍 火を挙げざれば、将も亦た挙げず、名づけて止欲将と曰ふ。将 身づから止欲を服せざれば、以て士卒の飢飽を知る無し。将 士卒と寒暑・労苦・飢飽を共にす、故に三軍の衆、鼓の声を聞けば則ち喜び、金の声を聞けば則ち怒る。高城深池、矢石 繁く下るも、士は先登を争ふ。白刃 始めて合ふも、士は先赴を争ふ。士は死を好みて傷つくを楽しむに非ざるなり。其の将の寒暑・飢飽を知ること審らかにして、労苦を見ること明らかなるが為なり」と。
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『韓非子』難二第三十七簡子抱を投げて曰く、「烏乎、吾の士數弊す。」燭過冑を免ぎて對えて曰く、「亦た君の能わざる有るのみ。士弊れたる者無し。」
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孫子・作戦篇故に智将は敵に食するを務む。敵に食する一鍾は、吾が二十鍾に当たり、萁稈一石は、吾が二十石に当たる。
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李衛公問対・卷下夫れ用兵の法は、必ず先ず吾が士衆を察し、吾が勝氣を激して、乃ち以て敵を擊つべし。吳起の『四機』は、氣機を以て上と爲す。他の道無きなり。能く人人をして自ら鬬わしむれば、則ち其の銳當たる莫し。
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呉子・励士篇戦うに先だつこと一日、呉起、三軍に令して曰く、諸々の吏士は当に従いて馳を受くべし。車騎と徒と、若し車は車を得ず、騎は騎を得ず、徒は徒を得ずんば、軍を破ると雖も皆易ること無し、と。故に戦いの日、其の令煩わしからずして威天下に震う。
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荀子・大略篇人の臣下たる者は、諫むること有るも訕ること無く、亡ること有るも疾むこと無く、怨むこと有るも怒ること無し。