言志四録 / 言志晩録 第百七条 鞍に拠りて顧眄する能はず
國初武士。上下皆能泅泳。與調騎相若。今則或不慣。恐爲缺事。軍馬宜用野產。古來駿馬多野產。余少時。好馭野產。今則老矣。不能據鞍顧眄。可嘆。
新字:国初武士。上下皆能泅泳。与調騎相若。今則或不慣。恐為欠事。軍馬宜用野産。古来駿馬多野産。余少時。好馭野産。今則老矣。不能拠鞍顧眄。可嘆。
書き下し
国初の武士は、上下皆能く泅泳し、騎を調ふると相若けり。今は則ち或は慣れず。恐らくは欠事為らん。軍馬は宜しく野産を用ふべし。古来駿馬は多く野産なり。余少き時、好んで野産を馭せり。今は則ち老いたり。鞍に拠りて顧眄する能はず。嘆ずべし。
現代語訳
江戸幕府の初めのころの武士は、身分の上下を問わずみな泳ぐことができ、それは馬を乗りこなすのと同じくらいであった。今ではあるいは泳ぎに慣れていない者もいる。おそらく欠けたこととなろう。軍馬は野で育った馬を用いるのがよい。昔から名馬の多くは野育ちである。私は若いころ、好んで野育ちの馬を乗りこなしたものだ。今はもう老いてしまい、鞍にまたがって辺りを見回す(後漢の馬援のような)こともできない。嘆かわしいことである。
解説
武士の実技の衰えを憂え、自らの老いを嘆いた条です。幕府の初めには武士は皆泳げたが、今は不慣れな者もいると言い、軍馬も飼い慣らした馬より野で育った馬がよいと説きます。そして若いころ野馬を好んで乗りこなした思い出を語り、今は老いて「鞍に拠りて顧眄する」こともできないと結びます。これは後漢の将軍馬援が老いてなお鞍にまたがって周囲を見渡し、健在を示した故事です。儒者として知られる一斎が乗馬を好んだという素顔がうかがえます。八十歳前後まで書き継いだ晩録ならではの率直さです。平時に失われていく実践の力と、年齢とともに変わる自分の力をどう受けとめるか、考える材料になります。
この章句が説くこと
武芸実践老い泰平の弊鍛錬
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