言志四録 / 言志晩録 第百条 本に反り始めに復る
道者。所以反本復始。語見吳子。吾不意兵家講破此道學。
新字:道者。所以反本復始。語見呉子。吾不意兵家講破此道学。
書き下し
「道とは、本に反り始めに復る所以なり」。語は呉子に見ゆ。吾意はざりき、兵家の此の道学を講破せんとは。
現代語訳
「道とは、根本に立ち返り、始めに復るためのものである」。この言葉は『呉子』(戦国時代の兵法書、呉起の著とされる)に見える。兵法家がこのような道の学問を説き尽くしているとは、私は思いもしなかった。
解説
『呉子』図国篇の「夫れ道とは、本に反り始めに復る所以なり」を引き、兵書の中に儒学の核心を見いだした驚きを記した条です。本に反り始めに復るとは、枝葉の技術や利害から離れて物事の根本、人の本来の姿に立ち返ることです。儒学でいう「復性」、本性に復るという考えにも通じます。呉起は冷徹な兵法家として知られますが、その書の冒頭は、戦の前にまず道・義・礼・仁で国を治めよと説きます。一斎はそれを「道学を講破す」と評しました。専門外の書物に自分の学問の核心を見つける喜びがにじみます。方法論に行き詰まったとき、そもそも何のためにという原点へ戻ることの意味を考えさせます。
この章句が説くこと
道原点回帰呉子兵法復性
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