言志四録 / 言志晩録 第九十六条 軍旅にも礼楽あり
軍旅亦有禮樂。
新字:軍旅亦有礼楽。
書き下し
軍旅にも亦礼楽有り。
現代語訳
軍隊にもまた礼と楽(秩序と和合)がある。
解説
わずか七字の条ですが、儒学の根本概念を軍隊に当てはめています。礼は上下の秩序と節度、楽は人々の心を和らげ一つにするものです。治国の道具とされた礼楽は、平和な朝廷や宗廟のものと考えられがちですが、一斎は軍にもそれがあると言います。命令系統の整った秩序は礼であり、将兵の心が一つに和する士気は楽にあたるでしょう。力だけで統率しようとすれば、軍はまとまりを失います。古代中国でも、出陣や凱旋には礼が定められ、鼓や鉦の音が兵の進退を整えました。成果を追う厳しい現場ほど、秩序と和の両方が必要ではないか。規律と一体感を同時に考える手がかりになる一条です。
この章句が説くこと
礼楽軍旅秩序和合統率
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