言志四録 / 言志録 第五十七条 何事か学に非ざらん
培植草木。以觀元氣機緘之妙。何事非學。
新字:培植草木。以観元気機緘之妙。何事非学。
書き下し
草木を培植して、以て元気機緘の妙を観る。何事か学に非ざらん。
現代語訳
草木を植えて育て、それによって天地の元気が働き、また閉じ収まっていく妙なる仕組みを観察する。どんな事でも、学問でないものがあろうか。
解説
「機緘」は荘子の天運篇に見える語で、機は発し動かすこと、緘は閉じ収めることを言い、天地万物を動かしている仕組みを指します。一斎は、庭で草木を育てるという日常の営みの中に、芽吹き、伸び、枯れていく元気の働きを見ています。書物を読むことだけが学問ではなく、身の回りのどんな事にも天地の道理が表れているので、それを見る目さえあれば、何事も学問になるというのです。続く条では、旅や野宿といった体験こそが実際の学問だとも言っています。朱子学の「格物窮理」、物に即して理を窮めるという考え方が、生活の中の実感として語られています。日々の仕事の中から何を学び取っているか、観る姿勢を問われる一条です。
この章句が説くこと
学問観察格物自然日常
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