言志四録 / 言志晩録 第八十一条 暗夜に坐す者は体軀を忘る
坐暗夜者。忘體軀。行明晝者。辨形影。
新字:坐暗夜者。忘体躯。行明昼者。弁形影。
書き下し
暗夜に坐する者は、体軀を忘る。明昼に行く者は、形影を弁ず。
現代語訳
闇夜にじっと坐っている者は、自分の身体のことを忘れてしまう。明るい昼間に歩いている者は、自分の姿と影とをはっきり見分ける。
解説
闇の中で坐れば身体の感覚が消え、明るい昼に歩けば自分の姿と影がはっきり見える。短い対句ですが、前条の艮と震、静と動の工夫を受けた比喩と読めます。暗夜の坐は、外の物が見えず自分の形さえ忘れる静の境地、艮卦の「其の身を獲ず」に通じます。明昼の行は、物事の輪郭を一つ一つ弁別しながら動く動の場面です。一斎は、静にあっては我を忘れ、動にあっては形と影を見分ける、その両方が修養だと示しているのでしょう。自分を消して没頭する時間と、自分の姿を客観的に確かめる時間。仕事の中でその二つをどう行き来しているかを振り返る材料になる一条です。
この章句が説くこと
静と動忘我弁別自省修養
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