言志四録 / 言志晩録 第六十二条 隘に失はずして博に失ふ
今之學者。不失於隘而失於博。不失於陋而失於通。
新字:今之学者。不失於隘而失於博。不失於陋而失於通。
書き下し
今の学者は、隘に失はずして博に失ひ、陋に失はずして通に失ふ。
現代語訳
今の学者は、狭いことで失敗するのではなく広すぎることで失敗し、見識が低いことで失敗するのではなく何にでも通じようとすることで失敗している。
解説
学問の失敗は狭さや無知から来ると考えがちですが、一斎は逆だと言います。当時の学者の病は、あれこれ手を広げすぎる「博」と、何でも知っているつもりになる「通」にある、と。すぐ後の条では、心理の探究を竪の工夫、博覧を横の工夫と呼び、横の工夫だけでは浅く散漫になると述べています。清朝考証学の流行で、博識を競う風が広まっていた時代背景もあるでしょう。情報がいくらでも手に入る今日、この指摘はいっそう鋭く響きます。多くを知っていることが、一つを深く考え抜くことの代わりにはなりません。自分の学びが広さに流れていないか、深さを保てているかを点検するきっかけになる短い一条です。
この章句が説くこと
博学深さ学問情報過多専一
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